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株式会社 佐原

(idea 2026年6月号掲載)※掲載当時と現在では情報が変わっている可能性があります。

 

基本情報

 

 市民には「サハラガラスパーク(平成5年開館)」のイメージが強い株式会社佐原は、「空気の流れを創造する会社」として、「窓換気システム」の商品開発・製造を手掛ける。昭和31年、手作りのガラス戸や精巧な菓子棚を製造販売する「佐原屋硝子店(昭和42年法人化)」として一関市中央町で創業。昭和42年にアルミサッシの取り扱いを開始したことを機に「換気ブレス装置」を独学で設計・開発し、特許権を取得すると、全国のハウスメーカーが取り入れたことで事業が急成長。平成16年、二代目(現)代表取締役・佐原芳樹氏の就任と合わせ、佐原硝子(株)・佐原ブレス工業(株)・佐原商事(株)を合併し、株式会社佐原へ。サッシメーカーからのOEM事業を主軸に、国内外で事業を展開中。

 

「0から1を作れ」。健やかな暮らしを窓辺から

窓に「呼吸」を宿した、執念の自社開発

 

 昭和31年、一関市中央町で産声を上げた「佐原屋硝子店」。創業者の佐原得司氏は、昭和22年(18歳)に一関授産所工芸部(彫刻部)にて、家具デザイナーの梶田恵氏から指導を受けており、研鑽を積んだ確かな技を携えての開業でした。当時は木枠のガラス戸が主流で、職人技が光る菓子棚やアイスケースの製造販売で地域の信頼を築きました。

刀工の一関藩士久保田宗明の孫。日本の近代を代表するアール・デコ作家の一人。

 

 転機は昭和40年代。住宅の近代化に伴い、茅葺きからトタン屋根へ、新築や建て替えの波が押し寄せます。「リフォームという言葉もない時代でしたが、古い家でも窓をアルミサッシへ替える需要が非常に高く、先代も施工対応を始めた」と製造本部長の田中義之さんは振り返ります。

 

 隙間風を防ぐ魔法の窓として爆発的に普及したサッシですが、その密閉性が「練炭による一酸化炭素中毒事故」という、思わぬ悲劇を招きます。「良い製品で事故を起こしてはならない」施工翌日の悲報に接した初代は、自責の念と共に猛然と立ち上がります。彫刻家として培った緻密な設計技術を注ぎ込み、試行錯誤の末に誕生したのが、窓に呼吸をさせる「換気ブレス装置」でした。この発明は社会問題と化していた一酸化炭素中毒事故への解決策として全国のハウスメーカーに採用され、一関発の技術が日本の住まいの安全基準を塗り替えたのです。

 

 昭和53年には特許庁長官奨励賞を受賞。「0から1を作れ」という職人精神は、現在、家全体の空気環境を整える「24時間換気システム」へと進化し、換気商品(給気・排気)の商品開発・生産が同社の主力に。また、製造に必要な金物やプラスチック部品、金型までを自社内で内製化しており、機密管理を徹底しながら、高い専門技術を次代へと着実に継承しています。

 

一関から宇宙へ。次代へ繋ぐ「技術の財産」

 

 同社は地域社会への奉仕も忘れません。春秋の国道沿い清掃活動や、小学生を対象とした「ものづくり体験教室」の開催、学生の工場見学の受け入れなど、次世代の育成と環境保全に尽力しています。一関工業高等専門学校とも連携して研究開発を行っており、現在さらなる挑戦として研究しているのが各種換気商品の部品となる「形状記憶合金」。昭和63年から形状記憶合金の研究・製造を行っている同社ですが、お湯で発電を可能にする今回の研究は、地球環境への貢献のみならず宇宙事業への転用など、一関から世界を変える可能性を秘めています。

 

 高度な生産技術を誇る開発型企業に成長し、県外支店・工場も合わせて230名の従業員を抱える同社。東日本大震災で一関の工場は大打撃を受けましたが、滋賀工場があったおかげで震災需要にも対応しました。

 

 「一関の技術を未来へ」。先代の緻密な職人技と、現代の最先端テクノロジーを融合させながら、これからも、世界中の「健やかな暮らし」を窓辺から創り出していきます。

 

株式会社 佐原 製造本部本部長 田中義之さん

製造本部本部長 田中義之さん

 

株式会社 佐原 本社ロビー

本社ロビーでは硝子アート展示も行っている

 

株式会社 佐原 株式会社佐原の外観(本社)

株式会社佐原の外観(本社)

 


〒021-0041  

(本社)一関市赤荻字亀田143

TEL 0191-33-1111

HP https://sahara-s.co.jp/

 

 

 

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