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有限会社 東山製紙(紙すき館)

(idea 2026年7月号掲載)※掲載当時と現在では情報が変わっている可能性があります。

 

基本情報

 

 平安末期に奥州平泉・藤原氏の落人が東山地域に土着し、農耕の傍ら生活用品として作り始めたとされる手すき和紙。「和紙の命は原料のコウゾと水」と言われ、山谷川の澄んだ硬質の水と、和紙の原料となるコウゾが良く育つ環境から、伊達藩でも製造が奨励され、東山地域の地場産業となった。昭和36年に機械による製紙工場として創業した有限会社東山製紙は、昭和45年頃に観光客が訪れる猊鼻渓の舟発着場付近(現在の場所)に「紙すき館」を開店。和紙関連商品の販売や紙漉き体験を主とする観光施設を経営しながら、全国でも数少ない紙漉き職人として、歴史と民俗文化の継承を担っている。

 

「西洋紙」の製造工場から、「和紙」の製造へ

祖父から受け継ぐ東山(とうざん)和紙

 

 昭和初期には2百戸以上の農家が冬期間の副業として和紙を作っていた東山地域。有限会社東山製紙の現代表・鈴木信彦さんの祖父・鈴木彦右衛門さんは、幼少期からコウゾの皮たたきを手伝い、生涯を通して和紙作りに携わった職人でした。長年の作業で磨き上げられた彦右衛門さんの技術は、数々の賞を受賞するなど、高く評価されました。

 

 そんな職人の背中を見て育った信彦さんの父・俊彦さんは、昭和36年、有限会社東山製紙を創業しますが、和紙の製造ではなく、機械による西洋紙の製造。製紙工場として従業員も雇っての経営でしたが、小規模な製紙業を維持することの難しさに直面し、昭和45年頃に現在の場所へ「紙すき館」を開店。観光客向けに和紙の製造や販売、体験機会を提供する店舗経営へと舵を切りました。

 

 「中学時代から冬の厳しい寒さの中で祖父の和紙作りを手伝い、その技術と思いを肌で感じて育った」と語る信彦さん。昭和59年には東山町で和紙製造を行うのは山谷集落の4戸のみ(現在は信彦さん含め2人の職人のみ)になっていましたが、東山和紙の製造技法が平成元年に旧東山町の無形民俗文化財に指定されたこともあり、現在に至るまで、信彦さんたちは約8百年もの東山和紙の歴史をつないできました。

 

800年の伝統、その最後の一枚まで

 

 東山和紙の最大の魅力は、「素材が強く、とにかく長持ちする」という、驚異的な「強さ」と「保存性」にあります。その強さを生むのが、11月のコウゾ刈りから始まり、皮を剥ぎ、不純物を除いて繊維を叩きほぐす「叩解」など、冬の冷たい水の中で行われる過酷な工程です。同社では、今も自社で栽培したコウゾを使用し、冬(12月~3月)の冷たく澄んだ水で一枚一枚丁寧に仕上げる製法を守り続けています。

 

 冬に漉いた和紙は、販売用に小物や日用品に加工します。また、2年に一度、地元の小中学校のために一枚一枚心を込めて卒業証書を漉き上げており、先代から続く、職人としての誇りを感じる依頼です。

東山地域のもう一人の職人(鈴木 英一氏)と1年交代で担当している

 

 「紙すき館」での「紙すき体験」は、昭和35年に山谷集落に建てられた「山谷和紙共同作業所」にて、信彦さんが冬期間に原料を作っておき、体験者は漉く工程だけを行います。年間を通して体験可能で、年間3百人ほどが体験すると言い、近年では外国人観光客も多いとか。「せっかくの日本古来の紙(和紙)の良さを日本の人に知ってもらいたいが、障子紙の需要もなくなり、良さを活かせる用途がなくなってしまった」と、信彦さんは現状を語ります。

 

 現在は、2名のパート従業員と高齢の母親とで店を切り盛りし、リピーターからの注文を支えに「紙すき館」の看板を守り続けています。後継者不在という壁に直面しながらも、祖父譲りの東山和紙への情熱を胸に、8百年の伝統の灯を一日でも長く灯し続ける決意です。

 

有限会社 東山製紙 鈴木信彦さん

二代目代表の鈴木信彦さん

 

有限会社 東山製紙 店内では土産販売のほか、手すき和紙を学ぶコーナーも

店内では土産販売のほか、手すき和紙を学ぶコーナーも

 

有限会社 東山製紙 株式会社佐原の外観(本社)

有限会社東山製紙(紙すき館)の外観

 


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