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くらし調査ファイルNo.35「井戸」

(idea2026年3月号掲載)※掲載当時と現在では情報が変わっている可能性があります。


 「水道」で水を確保するのが当たり前のような現在ですが、水道による給水が進められるようになったのは昭和30年頃であり、全国的な水道普及率が90%を超えたのは昭和55年のこと。それまでの間、人々の生活用水源となったものの1つが「井戸」です。水道が普及した今、井戸の仕組みや構造、作り方などを知っているという人は少なくなってきました。非常時の備えとして再び注目を浴びつつある「井戸」について、整理してみました。        

 

※記載内容はあくまでもセンター独自調査の結果です。


目次

「井戸」の歴史

 

 当市で最も早く水道事業を開始したのは一関エリア(昭和10年から)で、最も遅い開始は室根エリア(昭和56年から)でした。令和6年度末の水道普及率は、全国平均が約98%なのに対し、室根地域は約38%(一関市全体は約89%)と、水道(=上水道、簡易水道)の未普及家庭の方が多いという現状です。

 

 では水道未普及家庭ではどのように水を確保しているかと言えば、「井戸」や「湧水※1(沢水)」の利用です。※1 地下水が自然に地上に湧き出した水。台地の崖下や丘陵の谷間などから自然に湧き出している水など。井戸を掘削して自然に湧き出してくる水とは別。「井戸」は、地面に穴を掘り、地下水を汲むための仕組み(設備/穴)ですが、日本では弥生時代の集落跡からも井戸が見つかっており、古くからその仕組み(発想)は存在します。

 

 そもそも人々は「水(川、沢、水路)のあるところ」に住み、集落を形成してきましたが、人口増加や町場の形成等により「水辺から離れた場所でも水を得ることができる仕組み」が求められるように……。当初は「共同井戸」が寺社や城下町などに作られ、技術の普及とともに、町ごと、近隣住民で……と、時代を下るにつれて、庶民にも身近になっていきました。

 

 また、それまでの人力作業が、江戸時代に入ると、地中に金棒を突き入れる「金棒掘り」や、先端に鉄の管をつけ、突き進むにつれて竹ヒゴを継ぎ足していく「上総掘り」など、地中深くまで掘ることができる技術が開発されます。上総堀りにおいては改良が重ねられた結果、明治中期には3~4人程で500mを超える掘削ができるようになったとか。

 

 全国的に見れば、明治以降、近代化とともにポンプなどの動力が導入され、戦後には個人所有の井戸も増えていきました。

 

職人技と思いきや……

 

 井戸と一口にいっても、どの場所にある地下水を汲み上げるのかによって「浅井戸」「深井戸」の二つに分けられます。浅井戸は硬い岩盤の上にある地下水を利用するため、掘削は容易ですが、水質や水量が変化しやすいため、現在ではあまり飲料水には推奨されません。深井戸は硬い岩盤の下にある地下水を利用するため、20m以上の掘削が必要となり、労力や費用がかかりますが、長い年月をかけて濾過されて溜まった水のため、水質が良好です。

 

 そうした水脈の見極めが井戸を掘るための基本であり、現代においては「さく井(せい)技能士」という国家資格も存在し、「職人技」のようなイメージが……。しかし、当地域においては「井戸職人」などの存在がヒアリングや文献では見つけられませんでした。むしろ「父親(祖父)が掘った」等の声が多かったことから、一般家庭に掘られた井戸は、身内等で作った「浅井戸」が多かった※2と推測。2 近年は土木事業者への依頼が一般的。また、一関市では「深井戸による水源確保工事」への補助金を出しているため、既存の浅井戸を深井戸に切り替える家庭も。また、井戸ではなく、沢水や湧水の引き込みで生活用水を得た家庭も多いようです。

 

浅井戸と深井戸の違い

 

 地表面と不透水層の間にある第1帯水層を利用するのが浅井戸。

 

 不透水層の間にある帯水層(第2帯水層以降)を利用する井戸が深井戸。この層から汲み上げられた地下水は、上下にある不透水層から圧力を受けていることから「被圧地下水」と呼ばれ、地表の影響をほとんど受けていないため、安全性も高いとされている。

 

 

浅井戸と深井戸の違いを示した画像


井戸の種類と掘り方

 

 「井戸」と言われて多くの人が想像するのが「掘り抜き井戸」と呼ばれる「直径1m程の穴の底に水が湧いている井戸」ではないでしょうか?実は「掘り抜き井戸」含め、井戸の工法は様々。より効率よく、より深くまで掘削できる技術が開発され、時代と共に主流が変化しています(下図参照)。 

時代     主流の工法(仕組み) 汲み上げ方            
江戸

掘り抜き

(道具や材が進歩した上で、現代でも主流の一つ)

金棒掘り(江戸中期~)

滑車と釣瓶桶
明治 上総掘り
大正 打ち込み(打ち抜き) 手押しポンプ
昭和

動力による打ち込み

 【打ち込み井戸】

表面に小さな穴が開いたパイプ(井戸管)をハンマー等で打ち込み、そのままパイプで吸い上げる仕組み。狭い場所でもOKで、設置も容易なため、DIYで作る人も増えているとか……。

 

手押しポンプ

 

電動ポンプ

(昭和20年以降)

平成

ボーリング機械での掘削

(掘削方法は主に3種)

 当地域では、自力で掘ったという家庭の多くが「掘り抜き工法で作る浅井戸」だったようです(あくまでもヒアリング調査の結果。「先代がどうやって掘ったのか不明」という声も多数)。

 

釣瓶で井戸から水を汲み上げる女性の画像『一関の年輪Ⅱ20世紀の一関』より
釣瓶(赤枠部分)で井戸から      水を汲み上げる女性        『一関の年輪Ⅱ20世紀の一関』より
川崎町の「新町自治会」が平成28年に再整備した共同井戸「中井戸」の画像。立派な井戸枠。※現在は使用不可
川崎町の「新町自治会」が   平成28年に再整備した共同井戸「中井戸」。立派な井戸枠。   ※現在は使用不可

掘り抜き工法の大まかな手順

 

1.掘削場所を決める

地形(水が集まりやすい低地、砂礫層など)や、地元の古井戸や湧水の位置を参考にする。

 

2.掘削

昔はツルハシやシャベルを使っていたが、近年は「井戸掘り機」「穴あけ機」などの便利な道具も普及。直径1〜1.2mほどの穴を掘っていく。

 

3.孔壁の崩落防止処理(「井戸側」の施工)

崩落を防ぐため、古くは木をくり貫いたものや木枠、瓦や石を積み上げた(石積み)。戦後の復興期にコンクリートが普及すると、コンクリートの井戸枠(直径約1m×高さ1m程度のコンクリート管)を上から降ろしたり、近年では塩ビパイプ管が使われることも。

 

4.仕上げ

水が出たら、底に砂利を敷き(充填砂利)、細かい砂などが井戸の中に入らないようにする。

 

5.井戸枠の造成・ポンプ等の設置

必要に応じて上部に井戸枠(石・木・コンクリート)や蓋、ポンプを設置。

 


 

 自治体によっては、井戸を掘るための申請や届出が必要な場合もありますが、一関市においては、「井戸を掘る」行為そのものについては届出等は不要です。ただし、「農地」「埋蔵文化財包蔵地」「水道水源保護区域」など、掘る場所によっては、その場所(土地)に紐づく条例等に抵触することがありますので注意が必要です。

 

 また、井戸水を飲用水として使用する際には、保健所や専門機関で水質検査を行うことが推奨されており、「一関市飲用井戸等衛生対策要領」では、「家庭用の飲用井戸の検査は、1年以内ごとに1回行うことが望ましい」としています。

 


 「(株)山喜建設」の小山喜久雄さん(92歳)の画像

井戸掘りの変遷を知る

「(株)山喜建設」の小山喜久雄さん(92歳)にインタビュー

 

Q. 掘る際のポイントや掘り方の変遷、井戸掘りに関するエピソードを教えてください!

 

A. 掘る場所は地図を見ながら「水が溜まりそうなところ」を見極めた。当社のある室根地域の場合、山沿いにある家が多いので、6~10mくらいで水が出ることが多かった。昔はシャベルやツルハシで掘ったが、今はショベルカーで全体を掘った後にヒューム管を入れる。孔壁が崩れてくるので、1日で作業を終わらせた。釣瓶井戸の時代は、壊れて落下した桶が井戸の底にたまっていたりした。井戸の壁を忍者のようにして昇り降りして、壊れた桶を取りに行かされた子どもも多いのでは?(笑)

 


井戸から水道への切り替わり時期は?

 

時代 給水開始年度 給水普及率
一関 昭和10年 95.1%
花泉 昭和29年

99.7%

大東 昭和29年 68.6%
千厩

昭和29年

73.0%
東山 昭和35年 89.6%
室根 昭和56年 38.4%
川崎 昭和29年 99.7%
藤沢 昭和31年 97.9%

給水普及率(%) = 現在給水人口÷給水区域内現在人口×100

※令和6年度末時点 (データ提供:一関市上下水道部)

 

  水道普及率が38.4%と、半数以上の家庭が今も井戸や湧水(沢水)を活用した暮らしをしている室根。給水開始も昭和56年と、他市町村から大きく後れをとっています。室根住民に聞くと「当時は川や沢の利用で足りるような生活スタイルであり、他市町村よりも水道整備の需要が低かった」ことで水道事業への着手が後れ、いざ着手に乗り出しても「水源確保の調査を繰り返したが、優良な水源がなかなか見つからなかった」という背景があるとか……。徐々に住民の生活水準も上がり、各家で必要な水量は増えましたが、井戸の改良や沢水を引く工夫など(モーターの設置等)、「各家庭が自力で必要水量の確保に向けて努力した」結果、未だに上水道が整備できないエリアが多いという環境でも、なんとか暮らしを続けられているのです(室根地域住民に拍手……!)。

 

 なお、昭和31年発行の『金沢郷誌』には「井戸は農家の場合、一軒一軒屋敷内に設け、たいてい掘抜井戸。町の場合は共同井戸を使用しているところもある」との記載があり、昭和34年発行の『一関市の現状分析と針路』には「家庭用水(上水)は一関市街地を除いてはほとんど井戸水を利用し一部渓流水を利用しているが、水量、水質共にさして問題ないようである。最近、生活改善運動に刺激されて電動ポンプを備えるものが見えてきたが、まだまだごく一部にしか普及していない」という記載があり、昭和30年代は多くの家庭が井戸水等を利用していた模様。現在、当市において耐用年数(40年)を超えた水道管は全体の約20%ということから、一般家庭に水道が普及し始めたのは昭和50年代であり、井戸はごく最近まで我々の生活を支えていたのです。

 


<参考文献> 

一関市(2016)『一関市水道事業ビジョン』

一関市(1959)『一関市の現状分析と針路』

一関市史編纂委員会(1975)『一関市史. 第5巻』

金沢村教育委員会(1956)『金沢郷誌』

 曽我部正美(2008)『自分で出来る打ち抜き井戸の掘り方』

 

 <参考文献(Webサイト)>

公共社団法人日本地下水学会.「地域地下水情報データベース」.

https://jagh.jp/activities/groundwater_database/(参照 2026-2-19)

西条市.「水の歴史館」.

https://www.city.saijo.ehime.jp/site/mizunorekishikan/(参照2026-2-19)


 

↓実際の誌面ではこのように掲載されております。

2026idea3月号 自由研究 キャプチャ画像

 

 

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