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有限会社 古鼎堂(こていどう)

(idea 2026年1月号掲載)※掲載当時と現在では情報が変わっている可能性があります。

 

基本情報

 木、石、角などの素材に、個人や法人、神社仏閣の文字・シンボルを彫刻し、唯一無二の証を形づくる老舗印章(ハンコ)店。初代・菊池富男(雅号:翠洋。現代表の祖父)さんは、戦前、水沢市(現奥州市)の老舗印章店翠川印房に弟子入りし、戦後、故郷の大東町で「古鼎堂」を創業(昭和22年)。昭和29年に現住所へ移転し、印章彫刻の筆法にも通じる書道塾も開塾、印章業と書道の二つの伝統を築く。二代目となるはずだった長男が急逝したため、その妻(現代表の母)が二代目として受け継いだ。平成26年、初代の孫にあたる亮さんが三代目(現代表)となる。

 

初代の筆、二代目の奮闘。三代目が継ぐ印章彫刻技術

「子々孫々長き宝」に託した願い

 

 終戦後、大東町摺沢字仲町において創業した印房「古鼎堂」。昭和29年に現住所へ移転すると同時に、印章彫刻の筆法に通じる「書」の基礎も学んでいたことから書道塾も開塾した初代・富男さんは、岩手県立大東高等学校で書道の指導も行うなど、地域における書道の文化的役割も担っていました。

 

 初代が屋号に冠した「古鼎堂」は、古代中国で王位伝承の宝器として用いられた鼎(かなえ)に由来します。「鼎」は三足両耳を持つ金属製の器であり、そのほとんどに「子々孫々永宝」という文字が刻まれていることから、古来より永続の象徴とされてきました。さらに、「小なり雖も而して重し」と言われ、煮炊きから茶煎じ、水入れまで「全てにかなえられる」重宝な器として大切にされた歴史があります。初代は、この「小なり雖も任重く、子々孫々長き宝」とする宝器の精神にならい、印章を彫刻する工房として、その重みと責任、そして世代を超えて価値が続くようにという強い願いを込めて「古鼎堂」と命名しました。

 

 幼いころから祖父の背中を見て育った三代目の亮さんは、「普段の印章彫刻はもちろん、石材店などから『墓石に彫る文字の原稿として、筆で文字を書いてほしい』という依頼も引き受けており、その姿を見ては子どもながらに『かっこいいな』とあこがれを抱いていた」と懐かしみ、「父が早くに亡くなったことで『よっ!三代目』と、地域の方々に声を掛けられることも多く、早い時期から印章業を継ぐことを意識していた」と続けます。

 

地域への恩返しを胸に継承は進む

 

 亮さんは石川県の大学で日本文学を専攻し、その後、4年制の神奈川県印章高等職業訓練校(印章彫刻職人を育てるための訓練校)に通いますが、一関市の合併による公的機関からの大量注文や母の体調不良が重なり、残り1年の課程未修了のまま、平成17年に大東町へ帰郷します。「週末になると研修課程を学びに神奈川へ通っていた」と、多忙な下積み時代を振り返る亮さん。そんな中、岩手県指定有形文化財である「木造来迎阿弥陀および菩薩像(通称二十五さま)」の印章修復依頼が舞い込み……。「『すでに形が決まっている一番難しい依頼』を乗り越えるため、家業と研修の合間に恩師の指導を受けに夜な夜な通った」と懐かしみます。

 

 古鼎堂の看板を守り抜くことができた背景には、地域からの温かい眼差しが。「父が亡くなった後も、たくさんの方々に支えられ、『地元のハンコ屋』として見守られてきました。この継承を次の世代にも繋ぐ努力、そして、地域への恩返しができれば」と語る亮さんは、現在、一関市商工会議所青年部役員や摺沢振興会事務局として地域づくりにも深く貢献。「信頼」と「責任」を重んじる古鼎堂の精神は、確かな技術と地域貢献という形で、今もこの地で力強く息づいています。

 

企業紹介① 代表 菊池 亮さん

代表・一級印章彫刻技能士

菊池 亮さん

 

企業紹介② 古鼎堂の外観

有限会社 古鼎堂の外観

 

企業紹介③ 古鼎堂の2階で開塾している『翠洋書道教室』の様子

古鼎堂の2階で開塾している『翠洋書道教室』

 


〒029-0523

一関市大東町摺沢字観音堂27-6

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