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(idea2026年6月号掲載)※掲載当時と現在では情報が変わっている可能性があります。
平成17年9月20日に一関市、花泉町、大東町、千厩町、東山町、室根村、川崎村の7市町村が合併、平成23年9月26日に藤沢町が編入したことで誕生した現在の一関市。平成17年の合併から20年が経過し、新市の歴史が刻まれていく一方で、旧市町村の特色ある施策や「肝いり事業」が忘れられかけています。そこで「旧市町村カルテ」と題し、10か月の連続企画として「旧市町村のまちづくり」を整理していきます。今号・次号ではその序章として、市町村合併の歴史を振り返ります。
※記載内容はあくまでもセンター独自調査の結果です。
「市町村合併」と一口に言っても、その背景は時代によって異なります。合併の歴史は明治21年~22年の「明治の大合併」、昭和28年~36年にかけての「昭和の大合併」、平成11年~22年にかけての「平成の合併」と大きく3つのタイミングがあります。
そもそもの「ムラ」の起源は縄文時代に遡りますが、現在の「大字」にあたるレベルの「村(=藩政村)」の成立は江戸時代で、自然発生的に成立したムラ(≒集落)を統治するために再編成したものです。「太閤検地」や「村切り」などによって村の境界が決められ、検地帳に記録されました。
また、江戸時代には村を支配する「藩」がありましたが、明治2年の「版籍奉還」、明治4年の「廃藩置県」、明治5年からの「大区小区制」によって、江戸時代に一関藩や仙台藩だった当地域は、胆沢県→一関県※1→水沢県→磐井県→岩手県と、10年足らずの間に変遷します。
※1 正確には「一関県」には行政区域の異なる「第一次一関県」と「第二次一関県」とがあり、ここでは第二次を指す
明治11年「郡区町村編成法」の公布により、胆沢三郡(804年成立)以降「磐井郡」だった当地域には、「西磐井郡」と「東磐井郡※2」が置かれます。郡→県→市町村の統治体系が成立し、地方自治が本格的にスタートします。
※2 現在の舞川地区(旧相川村、旧舞草村)を含む。
そして明治21年、近代的地方自治制度である「市町村制」が発布され、市町村に独立の法人格が認められます。この市町村制施行に伴う合併が「明治の大合併」と呼ばれ、旧来の村単独で町村施行した村を含め、当地域には1町34村が発足。当地域の場合、この時の町村が概ね現在の旧小学校区となった傾向があります。
昭和22年に施行された「日本国憲法」に「地方自治」の章が設けられたことを受け、「地方自治法」も同年に公布されました。地方自治法を補完する関係法案も多数整備され、新制中学校の設置管理、市町村消防や自治体警察の創設、社会福祉・保健衛生関係の事務など、町村行政は複雑かつ専門的に、そして財政力も必要となり、町村合併の必要性が叫ばれるようになります。
各種方面からも町村合併の勧告が行われたことを受け、町村規模を合理化し、行政事務を能率的に処理するため、昭和28年に「町村合併促進法」が施行。政府は「人口8千人未満の小規模町村の合併」などを推進する「町村合併促進基本計画」を定めます。この計画を達成するために進められたのが「昭和の大合併」です。
この「昭和の大合併」で誕生したのが、現在の一関市の前身となる8つの旧市町村です。昭和の大合併は、明治の大合併と異なり、「関係市町村の住民の納得を得て民主的に実施する」というものであり、どの町村がどう合併すべきか「納得を得る」過程で、様々なドラマ的展開を歴史に残しました。例えば旧川崎村となった薄衣村と門崎村は、弥栄村との3村合併を望む声がありつつ、他町村からも合併を求められる声があがり、弥栄村は最終的に村議会による「輿論調査」の結果、28票差で一関市との合併に至りました(投票後も様々なドラマあり)。
平成17年の新一関市誕生までの約50年間、新市町村の建設に奮闘しつつ、地方公共団体として住民の福祉増進のために工夫を凝らした施策を展開した8つの旧市町村。戦後の復興期から高度経済成長期を経て、生活の多様化や変わりゆく地域コミュニティの在り方にも向き合ってきました。次号では「昭和の大合併」で誕生した地方自治体の奮闘を、全国的な動きと合わせてご紹介します。
当地域においても、概ね上記で紹介したような政治背景での合併を重ねてきましたが、いくつか特徴的な歴史があったり、現在の当地域の地域割りとは異なる結びつきをしていた村などもあります。次々号から「昭和の大合併」でできた1市5町2村の施策を個別に紹介していくための前提情報として、各町村の沿革を見える化しました。
<大まかな流れ>
【藩政村(~明治初頭)▶水沢県独自の村落統合】78村→55村
当地域には78※の藩政村がありました。明治5年から大区小区制が実施される中、水沢県においては、明治8年、「各村から請願があった」として内務省へ申請し、大区小区制と並行して独自に村落統合を断行。これにより、55村へ。
※下黒沢村の端郷として、上黒沢村の一部に「西黒沢村(上黒沢西方)」があったとする文献もあるが、史実が終えなかったため、本紙では1村として数に含まなかった。
【明治の大合併(明治21~22年)】→1町34村
「市町村制」の公布に伴う合併。小学校や戸籍の事務処理を行うため、3百~5百戸を標準とし、全国一律に町村の合併を実施。人口が集積していた一関村は一関町を発足した。
【昭和の大合併(昭和28~36年)】→1市5町2村
「地方自治法」の公布により、町村行政が複雑化し、また、中学校1校を効率的に設置管理していくため、人口規模8千人を標準として町村の合併が推進された。民主的に実施。
【平成の合併(平成11~22年)】→1市
平成9年の「地方分権推進委員会」による市町村の合併推進勧告を受け、平成11年に「市町村の合併の特例に関する法律」を改正。合併特例債を新設するなど手厚い財政優遇措置を講じたことで、優遇措置の期限である平成18年3月までに全国的に合併が進んだ。
※その後も平成22年までの特例措置をしたことでさらに減少
・一関町、山目町、中里村、真滝村は、大正13年頃から複数回、合併が計画されたものの、実現できすにいた。太平洋戦争終結と共に有志による合併運動が起り、昭和23年ついに合併が実現し、一関市が誕生した。
・舞川村は昭和30年に一関市と合併するまでは「東磐井郡」に属した(合併で東磐井郡から離脱)。市は郡に属さないため、舞川村が西磐井郡に属した歴史はない。
大津保村は宮城県からの吸収合併の誘引や、津谷川村民が室根側への分村合併を求めるなど、大波乱が。結果的に津谷川の社会的、経済的環境の相違が認められ、保呂羽・大籠は藤沢町に、津谷川は室根村にそれぞれ対等合併した。
<参考文献>
・岩手県総務部地方課(1957)『岩手県町村合併誌』
・大島英介(1992)『一関市の歴史 下(岩手県市町村地域史シリーズ)』
・藤沢町史編纂委員会 編(1981)『藤沢町史. 本編 下』
・一関文化会議所(2015)『一関地方ゆかりの人物事典』
↓実際の誌面ではこのように掲載されております。
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