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伝説調査  ファイルNo.11「馬の伝説」

(idea2026年4月号掲載)※掲載当時と現在では情報が変わっている可能性があります。


 令和8年の干支は午(馬)。かつては全国でも有名な馬産地だったとされる岩手県には馬に関する民話(伝説、昔話、俗信等)も数多く存在します。当地域では義経の愛馬で、一ノ谷の戦いの鵯越の逆落しで騎乗していた「太夫黒」に関する伝説(千厩町産、もしくは東山町松川産)が有名ですが、他にもきっと馬に関する伝説があるはず……!午年という機会に、市内各地に伝わる馬の伝説を調査し、その中の一つを深掘りしてみました。

 

※記載内容はあくまでもセンター独自調査の結果です。


目次

馬体安全を願って

 

 古来より人間の暮らしを支え、生活に欠かせない存在だった馬。一方で、「神の使い」「神様の乗り物」としての側面もあり、生きた白馬を神社に奉納する習わしがあった時代も(板絵馬のルーツ)。

 

 神聖でありながら、暮らしに身近でもあった馬は、その健康安全・無病息災が常に願われ、「蒼前様(勝善様)」などの信仰が広がりました。また、「大切にしなければいけない存在」だからこそ、戒めのような意味で、様々な民話(伝説、俗信等)が誕生し、語り継がれてきたようです。

 

 例えば、端午の節句には、馬も人も農作業などを休み、蒼前様をお参りする風習がありますが(チャグチャグ馬コのルーツ)、これに関連して、一関地域にも「馬呼鳥(まおうどり)」という民話があります。若干ニュアンスの異なる話が複数あるのですが、共通するのは「5月5日に馬を連れて帰る(家に戻す)のを忘れた結果、馬がいなくなり、馬を探し続けたところ、『マオ―』と鳴く鳥になってしまった」という内容です。この民話の主人公は子ども。かつては馬の管理が子どもたちの仕事であり、馬や蒼前様信仰を大切にするための戒めとして、こうした民話が広まったのではと推測します。

 

 同様に「入梅日は馬を田に入れるな」「代掻きの当日は代掻きの馬に乗るな」など、何かしらの注意喚起をはらんだような俗信が県内にもあるようです。

 

「大柳の馬頭観音」という伝説の残る藤沢町保呂羽の馬頭観世音碑(個人所有)の画像。

「大柳の馬頭観音」という伝説の残る藤沢町保呂羽の馬頭観世音碑(個人所有)。建立年は不明で、道路整備で移転した経過あり。伝説は『藤沢の伝説ファイル(2017)』に掲載されている。

感謝と教訓を語り継ぐ

 

 その他、馬に関する伝説として多いのは、「馬頭観世音(以下、馬頭観音)」に関連するものです。先述の「蒼前様」が「馬の無病息災、繁盛(良馬生産)」を祈願するものであるのに対し、「馬頭観音」「馬を供養する」ための意味合いが強く、伝説の内容も、愛馬に関する出来事とともに、最後には「馬頭観音を建てて弔った」というものが多い印象です。※ 本来は仏教の「六観音」の中の一つで、頭上に馬の頭を乗せ、怒った顔をしている。畜生道(生前悪行を重ねた者が、死後、動物の姿に変えられ、苦行を味わうという教え)の苦しみを救うと考えられたが、この思想が次第に薄まり、やがて馬の守り神として信仰されるようになった。

 

 例えば、藤沢町保呂羽に伝わる「大柳の馬頭観音」という話は、たくさんの馬を飼っていた庄屋さま(屋号が大柳)の家にいた、よく働く老馬が主人公。その馬が一日中働いて戻って来ると、主人に会うなり「ああ、つかれた、つかれた」と人間の言葉を口にし、厩に入るなりすぐに横になり、その晩のうちに死んでしまったのだとか。不憫に思った庄屋さまが供養碑を建て、それが「大柳の馬頭観音様」と呼ばれているそうです。

 

 また、花泉町日形に伝わる「月舘山の御神馬」という話は、小荷駄商をしていた男(藤沢町黄海・七日町の庄右衛門)が、坊様に扮した神様を乗せてあげたことから、愛馬を月舘神社の御神馬として納めることになり、最終的にその馬は馬頭観音として祀られたというお話です。

 

 あくまでも推測ですが、働きものの馬たちを労い、感謝することの大切さや、感謝をしたことの美談などが、教訓として語り継がれているように思います。

 

 しかし……!当地域には、馬が「人々を困らせる存在」として登場する伝説があったのです。下記で詳しくご紹介します。

 


「化け石物語」を深掘りしてみた

 

 上記でご紹介したように、愛馬への感謝や後悔の気持ちなどが、馬に関する伝説につながるケースが多い中、室根地域には「人々を困らせる存在」という馬が登場します。最後には馬が退治され、大きな石になってしまったという「化け石物語」を、その実際の場所とともにご紹介します。

 

 

 むかし、むかしのお話しです。毎晩毎晩子(ね)の刻になると佐野下から雷神山(下図❶)の間を行ったり来たり暴れまわる白い馬がいました。 どこの馬なのか定かではありません。それに、畑に入って、やっと出揃ったばかりの麦の穂を喰い荒らしたり踏み倒したり、土地の百姓たちはほとほと困ってしまいました。なんとかして馬を補えようとしたのですが、馬の扱いにどんなに馴れた百姓でも、この暴れ馬にはほとんど手が出ませんでした。

 

 (中略)このことに思い余った一人の百姓は思案の末、この馬に斬りつけようと心に決め、身仕度を整え、きりりとした出で立ちでこっそり出かけました。

 

 (中略)場所は佐野下の道端です。大きい石があり、その陰に隠れて馬の来るのを息を殺して待ち構えました。馬は、静まりかえる夜更けの佐野下に蹄の音を響かせながら、しだいに近づいて来るのがわかります。待ち構える百姓は、今か今かとはやる心を押さえながら刀を握りしめ石の陰に身を縮めじっと馬の来るのを待ち構えました。

 

 (中略)百姓は馬が大石の手前まで来た時、今だとばかり素早くとび出し、振りあげる馬の首もとめがけて力の限り斬りつけました。不意を突かれた暴れ馬は、一声高くいななき、その場に後足で高々と立ち上ったと思うと、ぐるりと後に向きを変え、今走って来た道を、天を後足で蹴り上げるように走り去り、途中から右に折れて大川を越え、欠入田山の奥に入っていきました。

 

 (中略)ゆうべのことを知った百姓たちは、欠入田山の方に馬の足跡をたどりながら、その行方を確かめて行きました。足跡は土手を崩し、田の中に入り、道を横切って山へと続いていました。それから山坂の途中まで来た時に、足跡はビタリと止まり、そこからはどこを探しても足跡は見当りません。そして馬の姿も、どこにも見えませんでした。ただ、足跡の止まった山の中腹に巨大に横たわる石が、どっしりと座ったようにあるだけです。

 

  それから百姓たちは、あの石は馬が石になったのだと語り伝え、土地の人たちはこの石を「化け石(下図❸)」と呼ぶようになったということです。百姓が馬を待ち構えるために隠れたと言われる大石は、その後崖崩れと共に大川に転げ落ち(下図❷)今も佐野下の川岸にあって川魚の隠れる格好の場所となっています。

 石に化けた白い馬の想いが今に残っているのでしょうか、大石の近くには、一本の白い花の藤があり、毎年いっぱい花を咲かせています。

 

 【室根村文化財調査委員会(1993)『室根の伝説』より】

巨石「化け石」現地調査!

 

 上記の伝説が記載された『室根の伝説』は、史実としてはっきりしているものは伝説から除き、逆に史実がもとになっているものでも、内容が不確実なものは伝説として取り扱ったとしているため、あくまでもこのお話は伝説の域を超えないものです。

 

とは言え、室根には「化石」という字名があり、そこには「化け石」と呼ばれる巨石も存在しており……!?スタッフが実際に行ってみました!

 

「室根の伝説」に関わるとされる地域の画像。

【①雷神山(と推測される場所)】

①雷神山(と推測される場所)の画像

旧一関市立室根東小学校グラウンドの東側(公葬地横)にある丘の上に、かつては雷神様のお社が。今は小屋だけがあり、ご神体等はありませんが、ここが雷神山と推測されます。

 

【②佐野下の道端にあり、百姓が隠れた大きい石(と推測される石)】

②佐野下の道端にあり、百姓が隠れた大きい石(と推測される石)の画像

今も「佐野」という屋号が大川沿いにあり、そこからほど近い川岸には大きな石が。

 

伝説にある大川に転げ落ちた石だと思われる場所の画像。

伝説の中では、道端にあったものが大川に転げ落ちたとなっているので、この石の可能性が……。

 

【③「化け石」と呼ばれる巨石(室根町字化石地内)】

③「化け石」と呼ばれる巨石(室根町字化石地内)の画像。

「化石」という小字は山中であり、今は杉林。この杉林の中に、「化け石(巨石)」は鎮座しています。高さは約5m、横幅は8m程はある(未計測)と思われ、馬の横顔のようにも見えます。

 

「化け石」の近くにある馬頭観世音碑の画像。

「化け石」の近くには馬頭観世音碑が。昭和8年と掘られており、この伝説の馬を供養するための馬頭観音なのか、別の馬を弔う馬頭観音なのかは不明。

また、石の祠や、過去には木製の神棚のようなものが置かれていたことも。


 〈参考文献〉

〇編/室根村文化財調査委員会(1993)『室根の伝説』

〇著/滝口千里(1978)『磐井地方の昔話』

〇編/一関ユネスコ協会お話研究会(1986)『むがし あったどっしゃー  一関地方の昔話ー』

〇著/花泉社会科研究会(1970)『花泉の民話』 

〇編・発/佐藤秀昭(1988)『岩手の民話伝説辞典』

〇著/阿部和夫(1981)『一関の地域と風土』

〇著/朴沢謙一郎(1977)『一関の民話』

〇編/藤沢のむかしばなし伝承プロジェクトチーム(2017)『藤沢の伝説ファイル』

〇著/鈴木棠三(2020)『日本の俗信辞典』

〇著/菊地悟(1990)『いわて馬ッコの昔語り』

〇編・発/岩手県文化財愛護協会(2009)『岩手県文化財普及シリーズ5 干支づくし』

〇編/磐清水村誌編纂委員会(1956)『磐清水村史』

〇発行者/社団法人 奥玉愛林公益会 奥玉老人クラブ連合会(1988)『奥玉村誌』

 

 

 


 

↓実際の誌面ではこのように掲載されております。

2026idea4月号 自由研究 キャプチャ画像

 

 

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