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(idea2026年1月号掲載)※掲載当時と現在では情報が変わっている可能性があります。
‘過去のモノ’のようなイメージができつつある「青年会」や「青年部」。彼らがどのような思いで、どんな活動に情熱を注いでいたのか、その具体的な姿は、今や知る人が少なくなりました。しかし、当地域には、現在も青年活動が息づいている地域(集落)が。青年活動の歴史や役割を振り返りつつ、今に残る青年活動にもスポットを当てることで、現代に求められる「青年活動」を考えます。
※記載内容はあくまでもセンター独自調査の結果です。
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【メモ】集落単位での青年活動は「青年会(部)」、地区(小学校区)や市町村単位での青年活動は「青年団」と呼称する傾向あり。
青年活動のルーツを辿ると、江戸時代の「若者組※1」に辿り着きます。若者組が担っていたのが大きく次の3つの役割です。
※1 「若連中」などとも呼ばれた。女性は「娘組」と呼ばれる組織があった。
【社会人教育の場】
組に入る(若者入り)=村の一員として「一人前」の証。年長者から村のルールや礼儀、性の知識など、人生の知恵を教わる、体験的な教育の場。
【共同作業と規律の場】
村の行事や郷土芸能の運営、共同作業(道路や水路の修繕など)を通じて、村落共同体に必要な規律や秩序を学んだ。「若者(組内)条目」という組織ごとの独自の厳しいルールがあり、違反者は制裁を受けることも。
【社交と交流の場】
特定の民家や納屋を活動拠点とした「若者宿※2」に集まることで、仲間同士の絆を深め(社交の場)、男女の交流の場としても機能。
※2 娘組が集まって交流するところは「娘宿」と呼ばれ、男女の交流も。
このように「若者組」は、村落内の「社会教育機能」を担っていたとされ、当地域においても同様の仕組みがありました。
明治時代以降には、若者組の精神と素地を引き継いだ近代的な組織「青年会」が誕生しますが、戦時下に入ると、多くの若者が戦地に送られ、青年会は活動継続が困難に……。しかし、終戦後、疲弊した地域社会の中で、青年会は組織的な再建が図られ、青年たちは荒れ果てた道路や橋、公共施設等の修繕など、身を挺した社会奉仕活動に取り組みました。
その他、『東山町史』には「再起直後の各地青年会の事業として共通したものに演芸会の開催があった。この演芸会は、長い間の戦争によって疲れ切り、更に敗戦という苛酷な現実の下に消沈した人々の心を高揚するに大いに役立ち、どこでも超満員の盛況であった」とあり、青年会は社会インフラの復旧だけでなく、演芸会のようなソフト事業でも地域社会の重要な役割を果たしたのです。
時を同じくして、戦後の地域復興の柱として、「寺中構想」と呼ばれる理念に基づいた「公民館」の設置が進められます。『岩手県公民館史』によると、「気仙郡吉浜村本郷青年団」は、自分たちで公民館を建てるべく、木炭運搬、木材の山出しなどに奉仕するほか、製塩工場を経営。団員が交代で働いて創出した20万円を基金に公民館を建設したと紹介されており、青年団は、公民館建設の中心的な役割も果たしました。
しかし、青年団によっては、行政主導の社会教育や、戦後導入された民主主義的な考え方そのものに対して、反発や戸惑いを覚える人も少なくありませんでした。戦前から受け継がれてきた地域固有の慣習や、伝統的な組織のあり方を重視する層からは、「上からの押し付け」と捉えられ、新しい活動への抵抗が……。それでも青年団が公民館建設と運営に深く関わったのは、組織の根底に、「自分たちの地域を良くしたい」という共通の情熱があったからです。
彼らは、内部の意見の相違や外部からの圧力といった葛藤を超えて、公民館を拠点とした学習会や文化活動(演芸会など)を推進しました。青年団は、理想と現実、新旧の思想が交錯する中で、「社会インフラの復旧」と「民主的な地域づくり」という両面で、戦後の地域社会の発展の確かな礎を築いたのです。
当地域においても、集落、地区(小学校区)、旧町村、県など、複数階層に及ぶ青年活動が行われていた時期がありました。公民館の設置が進むと、公民館単位の青年活動が社会教育の文脈で推奨され、町村単位でのネットワーク組織ができていた地域も。さらにその上に県レベルのネットワーク組織があり、昭和26年設立の「岩手県青年団体協議会(以下、「岩青協」/上部組織は「日本青年団協議会」)には、当地域からも数団体が加盟していた歴史があります(昭和47年に岩青協に加盟していたのは花泉、大東、川崎、藤沢の4町村、平成2年は花泉、川崎、室根の3町村)。
岩青協は、各種講習会や研修会、スポーツ大会などを実施し、リーダー育成や仲間づくりの機会を提供します。岩青協で得た知識や技術は、それぞれの組織に持ち帰り、地域内の人材育成に活かすという仕組みができていました。
上記のように各階層で青年活動が行われていたものの、当地域においては、昭和40年代をピークに青年活動は下火となっていきます。集落単位の活動は自治会などに取り込まれたり、やむを得ず解散したために地区や町村レベルの活動に直接個人で参加する人もいたそうです。なお、現在も岩青協は存在し、「次世代のリーダー育成」をテーマに活動していますが、当市には市町村レベルの青年団が存在しないため、残念ながら加盟団体はありません。そんな中、現在も集落レベルで活動を続ける当地域の青年会に注目!彼らが現在、どのような考えに基づき、地域のためにどのような活動を行っているのかをご紹介します。
| 滝ノ沢青壮年会(東山町) | |
| 行政区 |
松川5区(約66世帯) |
|
設 立 年月日 |
不明。 同会の規約上、昭和36年には設立している |
| 目 的 | 会員相互の親睦をはかり、教養文化の向上と明るい生活を目指し、地域の発展に寄与すること |
| 事 業 |
|
| 体 制 |
会長(1名)、副会長(2名)、理事(7~10名)、監事(2名)、事務局員(2名)、顧問(若干名)、専門部会(文化部、体育部) ※自治会の中の組織ではなく、婦人会や老人クラブなどと同様の関連団体としての位置づけ。自治会発足前(合併前)から青壮年会はあり、自治会機能を担っていた。 |
Q.現在の青壮年会の年代と会員数は?
A.30代~70代の会員で構成され、50代が多い。老人クラブと掛け持ちの人も。規約上は性別の規定はないが、女性が会員になることはない(婦人会があるため。かつては若妻会もあった)。会員は約45名で、多いときは今の1.5倍は会員がいたらしい。地元を離れた人も参加できるよう規約を改正し、18歳以上であれば入会OKとしている。
Q.青壮年会に入るきっかけは?
A.仮装盆踊り大会や運動会の楽しかった記憶で自然と入会する人、親が入会していて入る人、声がかかって入会するなどのパターンがある。会長の石川浩幸さん(2期3年目)は、子どもの行事で同年代の親たちとの関りをきっかけに30代で入会した。
Q.主な事業は?
A.春に陸中松川駅の環境整備、夏に仮装盆踊り大会、秋に運動会、冬に旧狭山トンネル周辺の環境整備。コロナ禍前は、青壮年会のメンバーで日帰り旅行もしていたが、今は休止。
令和7年は5年ぶりに運動会を開催。コロナ禍前は、運動会の内容等を精査せずに日付を変えて毎年同じことを繰り返していたが、再開を機に運動会の内容を見直した。白紙の状態でのスタートだったが、若い会員の知恵もあり、今年はニュースポーツというカタチに。予想を上回る73名(4歳~82歳)もの参加があった。
また、地元の石灰関連の企業が、「協賛」として協力してくれている。
Q.地域にとっての青壮年会の役割は?
A.人材育成というよりも親睦を深める機会として事業等を展開している。今は仕事も生活も多様化しているので、負担のないように工夫している(準備等)。イベントの準備をしているときは、学生時代の文化祭準備のような感覚の一体感があり、青壮年会で企画・運営する楽しさも知ってほしい。そういう楽しさを積み重ねることで、地域が明るく住み良くなれば、青壮年会の役割は充分に果たされていると思う。
70年以上つづく 「仮装盆踊り大会」
お盆に開催。帰省者も含め毎年100人以上が参加する最も参加者が多い事業。仮装は個人のほか、婦人会や老人クラブ、子ども会のグループ単位でする場合も。大会なので「賞」も用意し、ユニークなものからクオリティが高いものまで、見ているだけでも楽しい。焼き鳥やかき氷などの屋台、抽選会も実施。写真左が昭和28年、右が令和6年の集合写真。
青年団(会)は、地域社会の中心的な役割を果たしてきましたが、特に高度経済成長期以降、社会構造の変化と多様化により、青年活動は低迷期を迎えます。その結果、活動内容やその重要性が若い世代に伝わらず、組織の熱意や精神が途切れてしまいました。近年は少子高齢化の影響が深刻化し、活動を休止・解散した青年会も少なくありません。
当地域の場合、自治会等の組織の中に「青年部」などの形で、若者向けの活動の場を設置し、青年活動の精神を途切れさせず、次世代リーダー育成の仕組みを守ろうとする取り組みは少なからず残っています。一方で、残念ながら活動を停止せざるを得ない状況にある組織もあります。しかし、地域社会にとって、若者の力と育成の場は依然として不可欠です。こうした現状を踏まえ、これからの青年活動のあり方を考えることが、今、地域に求められています。
<取材協力> 滝ノ沢青壮年会のみなさん
<参考文献・WEB>
〇岩手県の教育史(長岡高人/1986)
〇岩手日報
1887(明治20年) 12月2日(金)(巌手公報)
〇岩手日報
1893(明治26年) 9月20日(水)(巌手公報)
〇岩手日報
1926(大正15) 8月7日(土)
〇岩手日報
1954(昭和29年) 1月22日(金)
〇岩手日報
1954(昭和29) 5月3日(月)
〇岩手日報
1963年(昭和38) 1月19日(土)
〇山目史(山目史を作る会/1993)
〇一関市厳美町
本寺の民俗 ー骨寺村荘園遺跡のくらしー(松本博明/2011)
〇復刻 真瀧村誌(真瀧村誌復刻刊行委員会/2003)
〇奥玉村誌(1988)編/奥玉村誌「まとめる会」実行委員会
〇磐清水村誌(1957)編/磐清水村誌編纂委員会
〇郷土誌
弥栄の里(1973)編者/弥栄中学校
〇花泉町史(通史)(1984)編集/花泉町史編纂委員会
〇中里村史(1985)編集/中里地区民俗資料保存会
〇大東町勢要覧(1956)編集/大東町役場総務課
〇おれたちのわかいころ【思い出】~あの時代を今に~(1997)編集/猿沢地区老人クラブ連合会歳時記編集委
員会
〇増補 村の遊び日 自治の源流を探る(2003)著者/古川貞雄
〇室根村史 下巻(2004)監修者/細井計 編/室根村編纂委員会
〇東山町史
〇講座 東北の歴史 第二巻 都市と村
〇岩手の教育界史ー岩手の校長会年史ー(1974)編集/岩手県小学校長会・岩手県中学校長会
〇岩手県公民館史(1993)発行所/岩手県社会教育連絡協議会
〇「集落青年会」の実相とその意味
—戦後青年集団史研究の課題およびライフ・ヒストリー法の可能性—(安藤
耕己/2007)
〇戦後青年団論における「若者組」像に関する考察
—「青年団=若者組母胎」論に着目して—(安藤耕己/2004)
〇1910-20年代鹿児島県における実業補習学校政策の発展(三羽光彦/2025)
〇青年団20周年記念誌(岩手県青年団体協議会/1971)
〇県青協五十周年記念誌(岩手県青年団体協議会/2002)
〇一関市油島市民センター 青年部史料
〇三重県
https://www.bunka.pref.mie.lg.jp/rekishi/kenshi/asp/hakken/detail220.html
https://www.bunka.pref.mie.lg.jp/rekishi/kenshi/asp/hakken2/detail399.html
〇文部科学省
https://www.mext.go.jp/b_menu/hakusho/html/others/detail/1317673.htm
https://www.mext.go.jp/b_menu/hakusho/html/others/detail/1317682.htm
https://www.mext.go.jp/b_menu/hakusho/html/others/detail/1317781.htm
https://www.mext.go.jp/b_menu/hakusho/html/others/detail/1317645.htm
https://www.mext.go.jp/b_menu/hakusho/html/others/detail/1318117.htm
↓実際の誌面ではこのように掲載されております。
開館時間
9時~18時
休館日
祝祭日
年末年始
(12月28日から翌年1月4日まで)
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