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(idea2021年9月号掲載)※掲載当時と現在では情報が変わっている可能性があります。

末裔調査 ファイル№2 「宮城山福松」

 

 当地域出身の偉人に関する‘ついつい気になる疑問’である「末裔」。偉人そのものの功績もさることながら、その末裔を調査し、会いに行く「末裔調査ファイル」の第2弾(第1弾は芦東山(2020年11月号))!今回は知る人ぞ知る当地域出身の大相撲力士・宮城山をピックアップします。第29代横綱であり、「天覧相撲」として昭和天皇の前で土俵入りもしたことのある、まさに郷土の偉人です。その人生と末裔を追いました!

※文献や資料によって史実と年齢が合わないものがあり、今回は史実を優先に年齢を計算しています。

 

山目村の誇り・横綱「宮城山福松」

宮城山福松(佐藤福松)

宮城山福松(佐藤福松)

幕内戦歴(合併後)

  90勝70敗1痛分26休(17場所)

幕内戦歴(大阪) 

 102勝24敗6分5預63休(20場所)

 

 第29代横綱であり、「大阪相撲」最後の横綱でもある宮城山福松(本名・佐藤福松)は、明治28年、現在の一関市五代町(当時は山目村)に誕生。幼い頃から怪力自慢として知られ、父親と同じ人力車夫を経て、16歳で「東京相撲」の出羽ノ海部屋へ。

 

 兄弟子との喧嘩から、19歳の時に大阪相撲・高田川部屋へと弟子入り。この時、後の内閣総理大臣・原敬の紹介があったという話も。

 

 大阪相撲では入幕2年目に大関まで昇進するなど頭角を現したものの、「宮城山」という名前ゆえ、地方巡業で地元を訪れても、残念ながら盛り上がりには欠けたのだとか。

 

 その悔しさで一層稽古に励んだ宮城山は、入幕6年目で横綱に昇進。直後に行われた地元で二度目の地方巡業では、駅前や沿道が出迎えの住民で埋まる大歓迎ぶり。当時の山目村村長が音頭を取り、宮城山後援会も組織されました。

 

 しかし、横綱昇進と同時に瘭疽を発症。休場が続く中、東京相撲と大阪相撲が合併(大阪相撲が解散)する運びに……。持病を抱えながら挑んだ番付統合のための興行で惨敗した宮城山は、小結程度と評されながらも、吉田司家から横綱免許を取得していたことで、張出横綱として横綱の地位をキープ。迎えた合併後初の本場所で優勝を成し遂げたのです……!


 

 

 「宮城山」のプロフィール    ※本文の年齢は数え年です。

1895

現・一関市五代町で人力車夫をしていた佐藤丑蔵の五男として誕生。

1905 高等尋常小学校の尋常課のみで卒業し、近所の醤油店に勤めていたが、まもなく家業を手伝い、人力車夫となる。
1908 前年、岩手巡業に来た常陸山谷右エ門の一行を見て力士に憧れを抱いていたが、相撲界に入りたい気持ちが強くなり、人力車夫をやめ、親に黙って上京。理髪店に住み込みで働くが、相撲への気持ちで仕事には身が入らず、本場所ごとに足を運んでいた。
1910 出羽ノ海部屋(東京相撲)に弟子入りを懇願し、入門。猛稽古に励み、「岩手川」の四股名で初土俵をふむ。アメリカ巡業にも参加。
1913 三段目に昇進。岩手川がまだ許されていない大銀杏を結っていると、兄弟子に「生意気だ」と殴られ、出羽ノ海部屋を抜け出す
相撲を続けるため、大阪へ。大阪相撲の高田川部屋に入門(原敬の紹介)。四股名を「宮木山(後に宮城山)」に改名する
1916 入幕(22歳)。東京相撲で鍛えていたこともあり、翌年1月に関脇に、1月場所後には大関に昇進。
1922 1月場所で10戦全勝を果たし、吉田司家からの横綱免許を取得(大阪相撲4人目)。しかし、昇進直前に瘭疽を発症、その後休場が続いた。
1925 東京と大阪の相撲協会が合併準備開始。番付統合を行うため技量審査を兼ねた「東西両連名相撲」が開催されるが、宮城山をはじめとする大阪相撲力士は惨敗。宮城山も「小結程度」と評された。
1927 大日本相撲協会発足。大阪相撲だった力士の多くが大阪相撲より低い番付に組み込まれる中、宮城山は吉田司家から横綱免許が授与された正式な横綱ということもあり、合併後も「張出横綱(第29代横綱)」として編入。合併後初の本場所では10勝1敗で、幕内最高優勝を達成。
1929 巡業先(高知県)で現在の高知市出身の寿美栄さんにひとめぼれし、結婚。※前年には合併後2度目の優勝を達成している。
1930

 天皇が大相撲を観覧する「天覧相撲」で、宮城山も土俵入り。両陛下からねぎらいのお言葉を受ける。

1931  3度目となる皆勤負け越しを記録してしまい、5月場所を最後に引退。地元一関市に巡業の際、釣山下で断髪式を行った。
1943  引退後、年寄となり勝負審判を務めながら親方として芝田山部屋も経営していたが、妻の郷土・高知市で巡業中、脳溢血で急死

 

末裔ファイル2

 

大阪相撲最後の横綱               宮城山の甥の長男の妻(生家家督)

 

宮城山福松(佐藤福松)▶▶▶ 佐藤喜美子さん

 

 宮城山は昭和4年、巡業先の高知県で、当時26歳だった寿美栄さんと出会い、結婚。2人の養子一人娘をもうけます。血のつながった娘は、商社マンと結婚し、家を出て行きました。その後の詳細は親族でも把握しきれていないようです。

※養子の1人(現在90代)は兵庫県在住とのことですが、高齢につき詳細なヒアリング不可。

 

 8人兄弟の五男として生まれた宮城山ですが、誰も生家を継ぐことができず、嫁いで鈴木姓になっていた三女のマサの長男(正雄)が佐藤に改め、生家を継ぐことに(子どもに恵まれなかったマサは、養女を迎えますが、その後に長男の正雄を授かっている)。

 

 正雄(=宮城山の甥)には2人の息子がおり、長男の正弘が宮城山の生家で暮らしていました。正弘(=宮城山の甥の長男)は妻・喜美子と

宮城山福松の末裔の佐藤喜美子さん

宮城山福松の末裔へ

 インタビュー

佐藤喜美子 (さとうきみこ)さん

昭和23年生まれ。東山町松川に生まれ、昭和47年に宮城山の甥の長男である正弘と結婚。正弘の他界後、生家を守っている。 

 


の間に3人の娘を授かりますが、令和元年10月、73歳で病により他界。そのため、宮城山と直接的な血縁はない、甥の長男の妻にあたる喜美子さんが、生家を守っています。

 

 なお、宮城山の妹・ハルヨは子宝に恵まれ、三男の鈴木勇さん(現・一関市五代町生まれ)が、宮城山に関する資料収集を行うなど、一人のファンとして親類・宮城山を誇りにしています(本調査にも多大なるご協力をいただきました)。

 

 

◆宮城山はどんな人だったと聞いている?

―  芯が強く、努力家で、面倒見がよく、気  

  いができる人だったと聞いています。想  

  ですが、引退後は親方業の気疲れで早死   

  してしまったのかもしれません。

   宮城山亡き後も、一関への巡業には弟子  

  の宮錦(平成4年に逝去)の尽力があったよ  

  うなので、弟子にも慕われていたことがわ  

  かります。

 

 

原敬の眠る墓前にて土俵入りを奉納。その時の様子

大正11年、横綱に昇進直後の岩手県への地方巡業の際、お世話になった故・原敬に横綱昇進を報告するため、盛岡の原敬の眠る墓前にて土俵入りを奉納。その時の様子


◆宮城山ゆかりの品や遺品等はある?

 ―  横綱時代の手形があり、大きいなぁと思いながら見ています。

   あとは、夫人の寿美栄さんが一関巡業に来た際の新聞の切抜を資料として残してい  

   ます。実は宮城山が実際に住んでいた生家は火事にあい、リフォームしています。

   ただ、新聞記事や一関巡業の時の写真等は無事で、今も保管しています。

 

◆生家の今後について

 ―  宮城山のことを知る地元住民も少なくなってきていると思いますし、改めて伝えようにも、

   親類等から聞いた話でしかないので、自分たちには難しいです。

   ゆかりの品なども、今後誰が管理していくか決まっているわけではないので、もし管理できる  

   人がいるのであれば、ありがたいです。

   宮城山の生家があった場所に建つこの家の前には、地元・五代民区有志が建てた宮城山の記念  

   碑や、一関市教育委員会が設置した宮城山の功績をまとめた看板もあるので、娘たちの誰かが  

   この家を継いでくれたら嬉しいですね。

 


昭和22年、宮城山の33回忌を迎えるにあたり、甥の佐藤正雄さん含む一関市内の有志が「宮城山顕彰会」を設立し、法要等の準備を行った。また、33回忌に合わせて一関に地方巡業を勧進すべく「宮城山会」も発足。2者が協力し、一関大相撲場所が見事開催された。その後も連続6回一関大相撲場所が開催されている。

 

【写真右】昭和50年8月4日、一関市体育文化会館で行われた6場所目の大相撲一関場所の様子。

 

【写真左】6場所目に当日集まった宮城山の関係者。中央が宮城山の妻・寿美栄さん、右端が甥の正雄さん、その向かって左が現在生家を守る喜美子さん。

 

                               ※画像・資料提供:鈴木勇氏

 


円満寺にある「宮城山福松之碑」
▲円満寺にある「宮城山福松之碑」

 

 引退後の宮城山は、年寄として勝負審判を務めながら、両国国技館近くに「芝田山部屋」を設け、岩手県出身の力士(宮錦(宮古)、高田山(千厩)等)を積極的に抱えました。1943年(昭和18年)、妻・寿美栄さんの故郷・高知市での巡業中に脳溢血で倒れ、49歳にして急死。一関市山目の「円満寺」にて眠っています。

 

 ちなみに「宮城山」という四股名は、福松の故郷・旧山目村が伊達藩領だったことから、親方が命名(「岩手川」からの改名)したのだとか……。

 

 


■□誌面未掲載情報□■

誌面では割愛させていただいた、今回の調査に係る情報です。

なお、市内各地で様々な方にヒアリング協力もいただきました!

この場を借りてありがとうございました。

  

<参考文献> ※順不同

岩手日報社(1987)『岩手の先人100人』/ 岩手日報社(1970)『岩手のスポーツ人』

 

日本相撲協会「 相撲いろは>歴代横綱>宮城山 」https://www.sumo.or.jp/Yokozuna/profile/29/(参照2020-8-7)

 

<取材協力> ※順不同

 

 鈴木勇氏(宮城山親類・茨城県在住)/蜂谷緑氏(岩手相撲甚句会)

〈以下取材写真〉

 

▲生家では宮城山の記事を切り抜き保存しています。

▲生家にある宮城山福松の石碑の照会文。第25回岩手県国体開催の年を記念して建立。

生家にある宮城山福松の石碑。

▲円満寺にある宮城山福松の照会文。

調査にご協力いただいたみなさま、ありがとうございました! 

↓実際の誌面ではこのように掲載されております

idea9月号 自由研究 キャプチャ画像

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