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(idea2023年月1月号掲載)※掲載当時と現在では情報が変わっている可能性があります。

仕事の流儀 ファイル№4「炭焼き①」

※誌面掲載の情報に誤りがありました。HP上(このページ)では、修正後の内容で記載しています。

※誤りがあった箇所は以下の通りです(クリックで拡大します)。

 かつては盛んだったはずが、今となっては希少になりつつある「お仕事」やその技術等を調査する「仕事の流儀」シリーズ。岩手県が日本一の黒炭生産地となった大正初期(それ以前から行われている)~昭和40年代までは、当地域でも盛んに行われていた「製炭」。しかし現在は当地域で販売用の製炭を行う人はわずか1名※。その技術や工程、歴史について、整理してみました。※岩手県木炭協会の把握。非会員がいる可能性もある。自家消費用等に製炭を行う人は若干名あり。                                     

                   ※記載内容はあくまでも当センター独自調査の結果です。

 

■製鉄や冶金のための木炭

 

 日本列島において人類がいつ頃から木炭を活用していたかは諸説あり定かではありませんが、少なくとも製鉄が行われ始めていたとされる古墳時代には、製炭も行われていたと考えられます。平安時代には年貢としても徴収され、製炭技術も徐々に向上。武器製造のための必需品でもあり、江戸時代には庶民の日常生活におけるエネルギー源としても浸透していきました。

 

 当地域では、金・銀・鉄鉱類が盛んに生産された平泉文化において、冶金(やきん)用に木炭が広く製造されたのだとか。平泉遺跡群発掘調査では、12世紀前半の陶器窯の跡から、陶器を焼く際に炭が熱源として使われていたことが報告されています。

 

 大東町や藤沢町では藩政時代から明治にかけて木炭が欠かせない「たたら製鉄」が行われており、『大東町史上巻』には諸役帳からの数字として、炭焼職人(≒生業としての製炭業)が文化元年(1804年)に3人いた(大原村・鳥海村・猿沢村各1人)と記されています。

 

 明治時代に入ると本格的な木炭時代を迎えますが、明治初期は東北地方における工業用炭としての需要が大半で、明治24年に東北本線が盛岡まで全線開通したことを機に、一般燃料としての出荷が増加するも、盛岡以北が主要産地でした。

 

■農民の困窮を救う存在へ

 

 転機となったのは明治38年の大凶作。明治35年にも大凶作があったばかりで、困窮した凶作民の救済と農山村民の副業育成を目指し、県が製炭技術の改良に本腰を入れたのです。

 

 時を同じくして明治40年、「森林法」が改正され、森林保護行政に力を入れられるようになると、県では林業技術員を採用。各地で林業講習会を開催します。 

 

 その当時、主要産地になれずにいた地域(当地域含む)の製炭技術は、藩政時代から特に改良も進まない「昔ガマ」などと呼ばれるもので、生産性や木炭の質に問題がありました。そこで、県の林業講習会には「改良製炭法」も盛り込まれ、講師の一人・楢崎圭三氏が考案した「楢崎ガマ」での製炭法を指導。これにより西磐井郡では製炭量が明治37年の約17倍に(東磐井郡は3倍)!大正4年には岩手県が生産量全国1位となりました。

 

 また、黄海村(当時)出身の小野寺清七岩手県農林技師(大正10年着任)としてさらなる製炭窯の開発研究を行い、「小野寺式製炭法」を確立。良質かつ安定した木炭生産が可能となり(その後も窯の改良は続く)、「岩手木炭」の評価に大きく貢献しました。

 

 なお、この頃には当地域にも木炭共同組合が設置され(一関地区が大正10年)、昭和5年前後には950以上の炭窯が当地域内にあったとされることから、同等数の製炭業者がいたものと推測。岩手県全体における大正12年の製炭業者数は、専業が2千6百人弱、副業が1万2千3百人弱でした。       

 

 現金収入を得るための製炭

 明治40年頃から急速に製炭技術の普及が進められた岩手県ですが、当地域含め、それまでの山林は「自給自足の生活を送るための空間」であり、「収入を得るための場」ではありませんでした。ところが、上述のように製炭技術が普及し、「岩手木炭」として需要が高まると、いわゆる「木炭業者」が各地に出現します。

 

 その中には資産家や事業家などもおり、彼らは山を買っては地元農民に窯を築かせ、炭焼職工を現場監督として雇い、大量の炭を作らせました。山を所有していない農民たちが数名共同で山の立木を購入したり、炭の販売を行う商店が山を買い「焼き子」を雇うというパターンも。大東町摺沢の(有)佐甚商店の会長・佐藤さんによると、同店では昭和元年から平成初頭まで木炭を取り扱っていたそうで、同店が山の売買をしたり、築窯に関与することもあったとか。同様の業者が大東町内だけでも10軒程あり、摺沢駅付近には木炭検査員が常駐していた時期もあったそうです。

 

 一関地区では大正10年に木炭協同組合が組織され、昭和に入ると薪炭倉庫出荷組合も各地にできるように。東北本線一ノ関駅には木炭積み込み専用の引き込み線も設られ、東北本線上の各駅から東京方面へと出荷されました(そのため、薪炭倉庫は駅前に設けられた)。

昭和15年頃が日本国内の木炭生産ピークですが、岩手県内ではもうしばらく木炭生産需要が続きます。

 〈次号へつづく〉

 

 

「製炭」の流れに密着してみた

 

 「製炭(炭焼き)」と一口に言っても、その手法等は様々あり、年代によっても異なります。また、目的も「工業(たたら製鉄含め)用の炭焼き」「現金収入を得るための炭焼き」「家庭のエネルギー源としての炭焼き」というように分けられます。今回は「現金収入を得るための炭焼き」を「専業」「農家の副業」の2つにわけ、それぞれにおける流れや技を整理してみました!

窯の所有者 佐々木英一さん
▲窯の所有者 佐々木英一さん
佐々木さんの炭窯
▲佐々木さんの炭窯
共同利用者 佐々木秀敏さん
▲共同利用者 佐々木秀敏さん

 実際の流れを体験すべく、大東町で今現在も炭焼きを行う佐々木さんの作業に密着させていただきました。佐々木さんは家庭用のほか、地元の団体が小学生とともに毎年行っている「たたら製鉄」の体験で使用するための黒炭も製造。

 

 また、東山町でかつて炭焼きを生業としていた岩渕松雄さん(82歳)など、市内外の様々な方にヒアリングを行いました!

 


1回の炭焼き(窯の稼働)には約7日間かかるほか、その前後にも各種作業が。専業/副業で異なる部分もありますが、大まかな1回の流れが以下。この作業を繰り返します。

炭焼き一回の流れ

上記の流れを年間スケジュールにしたのが以下の表です。専業の人だと年に50回以上、副業の人は12月~5月頃の農閑期を利用し、年に6回程度、窯を稼働(カマタテ)します。

※伐採時期等は時代によっても異なる

炭焼きの一年の流れ

ここからは炭焼きにおける仕事の流儀を「窯づくり(窯打ち)」「立込」「口入・口止」「出炭・梱包」の4つにわけてご紹介!

 

 

 

 

 

 

仕事の流儀1) 窯づくり

 

 かつての炭焼きは、山を移動しながら、その都度その山に窯を作って行われていました。そのため、窯を築く場所選びや整地から始まり、完成までに1~2か月かかることも。上述したように、窯は時代と共に改良が進められ、下記「小野寺式窯」のほか、岩手県では昭和31年に黒炭用の「岩手窯/岩手大量窯」を開発。良質で安定の、かつ歩留まりの良い窯の統一規格として普及させます(詳細は次号で!)。

 

 その頃には徐々にチェーンソーや運搬車など、伐採や運搬に関する道具が普及しはじめ、それまでの山元製炭から、庭先製炭(山中ではなく、家の敷地内等に窯を築く)へと移行しつつありました。山中で規模の大きな窯を構築するのは難しいですが、庭先製炭であれば、ある程度大きな規模でも構築可能。特に専業の製炭業者は岩手窯/岩手大量窯へと移行していきました。

 

 

小野寺式窯

大正10年頃から普及し、当地域には953もの小野寺式窯があった(昭和3~6年頃)という記録も。

楢崎窯を改良し、初心者でも扱いやすい窯だった。

小野寺式窯断面図
小野寺式窯上から見た図

 

〈次号へつづく〉

<参考文献(Webサイト)> ※順不同

東山町史編纂委員会(1978)『東山町史』/小岩浩一郎/千葉庄松(1955)『萩荘村史』

大東町(1982)『大東町史 上巻』/大東町(2005)『大東町史 下巻』

藤沢町編纂委員会(1981)『藤沢町史 本編上下巻』

薄衣村史編纂委員会(1972)『薄衣村史』/黄海村史編纂委員会(1960)『黄海村史』

一関市史編纂委員会(1977)『 一関市史 第4巻地域史』

室根村史編纂委員会(2004)『 室根村史 上巻』/花泉町史編纂委員会(1984)『 花泉町史』

編者/弥栄中学校 発行/松崎徳勝(1973)『郷土誌 弥栄の里』

編者/松本博明 発行/一関(2011)『一関厳美町文寺の民族』

岩手県教育会東磐井郡部会(1975)『東磐井郡誌』/阿部正瑩(1985)『厳美地方の民俗資料』

千厩町史編纂委員会(1993)『千厩町史 第3巻 近世2』

真滝村誌復刻委員会 蜂谷 艸平(2003)『復刻 真滝村誌』

社団法人 奥玉愛林公益会 奥玉老人クラブ連合会(1988)『奥玉村誌』

畠山剛(2003)『炭焼きの二十一世紀―書置きとして歴史から未来へ-』

畠山剛(1971)『炭焼物語り』/畠山剛(1980)『岩手木炭』

岩手林業協会編集委員会(1997)『岩手県林業協会四十年のあゆみ』

炭活用研究会(2014)『図解よくわかる 炭の力』

坂井宏先(2011)『ポプラディア情報館 昔の道具』

岩崎弘明(2008)『日本のくらしの知恵事典』/岩崎弘明(2014)『新版 昔のくらしの道具事典』

岸本定吉(1984)『木炭の博物誌』/一関の年輪刊行委員会(1990)『写真記録集 一関の年輪』

木質炭化学会(2007)『炭・木竹酢液の用語辞典』

日本史広辞典編集委員会(1997年)『日本史広辞典』/花泉町役場(s37)『花泉町町勢要覧』 

 

林野庁."第1部 第2章 第2節 特用林産物の動向(2)木炭、薪、竹、漆等の特用林産物の動向"

 https://www.rinya.maff.go.jp/j/kikaku/hakusyo/R2hakusyo_h/all/chap2_2_2.html

(参照 2022-12-9) 

一般社団法人 岩手県木炭協会 . https://www.mokutan.jp/(参照 2022-12-9)

 

<取材協力>

一般社団法人岩手県木炭協会 業務課担当課 阿部哲さん

楽炭 代表 千田淳さん

大東町大原 佐々木英一さん、佐々木秀敏さん

東山町 岩渕松雄さん

千厩町奥玉 村上福男さん、吉田常夫さん

室根町 三浦幹夫さん

 

その他、調査にご協力いただいたみなさま、ありがとうございました! 

↓実際の誌面ではこのように掲載されております。

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