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(idea2024年月1月号掲載)※掲載当時と現在では情報が変わっている可能性があります。

くらし調査 ファイル№23 「火のある暮らし」

 2023年1月号・2月号の本頁で「炭焼き」について調査した際、木炭を使用する道具が様々あることを知り「木炭が生活必需品だった時代があった⁉」という仮説を立てた我々。当地域ではどのような「木炭のある暮らし」をしていたのか、「製炭」ではなく「暮らし」の追加調査を行いました。ところが……!調査を進めると、生活必需品は「木炭」ではなく「薪(柴木)」であることが判明!「薪」で「火」を得る「生活のサイクル」とは、いかに……? 

2023年1月号2月号はこちらから!

     (記載内容はあくまでもセンター独自調査の結果)

 

■循環型生活の基礎!?

 大正4年に岩手県は木炭生産量全国一位となり、当地域でも盛んに製炭が行われていました。現在、当地域で職業として製炭を行い、協会に加盟するのはわずか1名、家庭用として「炭焼き」をする人も数える程度ですが、昭和初期には市内各所で「炭焼き」が行われていました。

 

 かつて「炭焼き」をしていた人たちに話を聞くと、「堀(炭)炬燵」など、家の中でも炭を燃料とする道具を使用していたようなので(現在進行形で使っている人も)、炭は「生活必需品」だと思い込み、その「暮らし」を調査することにしました。

 

 いざ調査を始めると「確かに炭を燃料とする道具は使っていたが、必需品は薪や柴木。それらを燃やしてできる『燠(おき)』を炭として使うという予想外の回答が続出!炭を購入して使用していたという家はほとんどなかったのです(炭焼きをやめたり、「燠」が発生しない暮らしになってからは購入しているという家庭はあり。町場の人は購入)。 

 

 炭窯を持つ家や集落でも、木炭は現金収入を得るための貴重な「商品(関東等に出荷)」だったため、家庭で使用するのは、あくまでも商品にならないくず炭だったようです。

 

 なぜ炭窯で作った木炭がなくても、木炭を燃料とする道具を使用できていたかと言うと、「囲炉裏」や「竈(カマド)」など、薪を燃料とする道具を同時に使用していたからです。むしろ囲炉裏や竈が先であり、その副産物である燠≒炭を有効活用する暮らしが徐々に出来上がっていったことで、木炭を燃料とする道具も発展。製鉄などの産業用だった木炭が、家庭の暮らしにも浸透していったのです(それを燠で代用)。

 

 囲炉裏」は様々な意味で暮らしの中心でした。マッチやライターがない時代、「火を新しく生み出すこと」は容易ではないため、囲炉裏で「火を保存」しておきます。この火を種火にして竈の火を起こしたり(薪は山から調達)、囲炉裏や竈から出た燠(炭)を火鉢や七輪、行火等に使用、灰は畑の肥料や積雪時の融雪剤にしたり……と、囲炉裏は様々な循環の中心にあったのです。

 

 また、囲炉裏は「家族の団欒の場所」でもありました。火鉢や行火が普及するまでは、家で唯一の暖が取れる場所だったため、囲炉裏が家族の居場所でした。柳田國男は昭和19年の著書※1の中で「手軽な火鉢が買われるようになってから、どこの家でもこれに少しの火を入れて、用の無い人たちはさっさと爐端から離れて行くことになりました。私たちは是を家の火の分裂と名づけて、非常に大きな世の中の変わり目と見て居るのでありますが(後略)」と述べており、囲炉裏が担っていた役割を窺い知ることができます。

 

※1 柳田國男(1944)『火の昔』 

 

 その後、マッチやライターの普及で「火を保存」する必要はなくなり、豆炭練炭など新たな燃料の登場や、昭和30年頃からの石油、ガス、電気の普及により、薪も炭も不要な暮らしとなっていくのです。

 

 なお、亜炭が豊富に産出された西磐井地域では、木炭に代わり、亜炭を燃料としていたという話も複数聞くことができました。

昭和30年頃までの、囲炉裏を中心とした一日の流れ(例)

朝(4~6時頃) 日中(8~16時) 夕方~夜 就寝時

 ① 囲炉裏の燠にかぶせておいた灰を取り除く

② 燠を起こす(空気に触れただけで発火することもあるが、小さく砕いて「杉葉」や「硫黄付木」等を使用することも)。

③ 薪(柴木)をくべ、火力を調整する。

④「十能」等を使って竈等にも火を移し、煮炊きする。

⑤ 火を使用しない間も、火種が消えないように囲炉裏に薪(柴木)を補充する。

※夏場などは⑧のような状態にしておくことも

⑥ 就寝に備え、囲炉裏で部屋を暖める。

行火(豆炭あんか含め)用の炭を準備し(着火)、就寝2時間前には布団に入れ、布団を温めておく。

 

 ⑧ 囲炉裏の燠に灰をかぶせ炎は消すが、火種としては残しておく(灰の中で燠として火が残る)。

※寝室での暖は布団に入れた行火のみ。布団の中だけは暖かい。

 

のある暮らし」の道具を整理してみた(当地域版)

 

 石油やガスが普及し始める昭和30年頃まで、多くの家が囲炉裏を中心とした「火の循環」で日々の暮らしを営んでいました。限られた資源(薪・炭)を効率的に使用するために、様々な道具が登場(普及)し、当時の人々はその暮らしに応じて、使い分けていたようです。以下では、各種道具の特徴とともに、その使い分けについて、整理してみました。

火のある暮らし フローチャート

 

暖房

 どれも部屋全体が暖まるものではないので、自然と人は火の周りに集まりました。炭が放出する遠赤外線は、空気は暖めませんが、物質(人体)を温めます。

 

常設

囲炉裏(いろり)

居間(板間)を四角く切った炉。薪(柴木)を燃やした。当地域の場合、足元を温められるように掘り下げた囲炉裏が多く、土間から続く「踏み込み炉」のタイプも多かった。

■メモ■

道具というより「設備」。竪穴式住居に原型あり

「踏み込み炉」タイプの囲炉裏(油島)
▲「踏み込み炉」タイプの囲炉裏(油島)

掘炬燵

床を掘り下げた所に炉を切り、炭を燃やした。櫓を置き布団をかけて炬燵にしたが、不要の時期は塞いで床にした。囲炉裏を掘炬燵に転換した家も多い。炭の上には金網などを載せる。

 ■メモ■

当地域では「腰掛け炬燵」=「堀炬燵」 

現役で使用している堀炬燵(大原)
▲現役で使用している堀炬燵(大原)

 

移動可

火鉢

灰を中に敷き、その上で炭火をおこして手などを温めた。炭火のため煙が出ず、部屋に持ち運んで使用した。

長火鉢  

木製の火鉢で、収納機能(引き出し)がついた物も。五徳を置き、鉄瓶で湯を沸かしていた。陶器よりは常設に近い

■メモ■

 庶民の家 < 大きな家

長火鉢は大きな家のものだった(平泉)
▲長火鉢は大きな家のものだった(平泉)

陶器

江戸時代から明治にかけて陶器の発達とともに庶民にも普及したとされるが、当地域ではもっと後?大小様々ある。

■メモ■

土製や金属製もある

一般的な火鉢はもっと小さい(油島)
▲一般的な火鉢はもっと小さい(油島)

行火

炭火を入れ、手足を温める道具。様々なタイプがあるが、当地域では置炬燵と混同している傾向あり。

置(櫓)炬燵 

火の着いた炭を「火入れ(≒火鉢)」に載せ、上から布団などをかけて炬燵にした(部屋で使用)。瓦土製のものが多い。

■メモ■

櫓を載せるのが一般的

置炬燵。櫓を被せると櫓炬燵に(奥玉)
▲置炬燵。櫓を被せると櫓炬燵に(奥玉)

豆炭あんか

個人で使用する暖房。おこした豆炭を内側の石綿(岩綿)部分に入れて蓋をし、布団の足元などで使用。

■メモ■

昭和40年頃にブームに!


 

食事

竈と囲炉裏を主に、時期や調理内容に応じて使い分け。現在のグリルとは比べ物にならないほど、七輪で焼く魚は美味しかったとか。

 

炊事

竈(カマド)

鍋や釜を載せ、食べ物等を煮炊きするときに使う設備

終戦後まで多くの家で使用。土壁と同様の素材で作られた(当時)。高い火力で「煮る」「蒸す」「焚く」という工程を担っていた  

■メモ■

古墳時代中後期から⁉「かま神様」に守られてます

震災後に新調した現役の竈(室根)
▲震災後に新調した現役の竈(室根)

囲炉裏(いろり)

自在鉤や五徳を使い、鍋で煮炊きをするほか、灰に串をさし、団子や魚をあぶることも。東北地方では竈よりも囲炉裏で炊事したという話もありますが、当地域では併用していた。

■メモ■

「鍋文化」の源流です

『写真記録集 一関の年輪(1990)』より。昭和48年4月、厳美の家で、板間にある囲炉裏に人々が集まる様子。
▲『写真記録集 一関の年輪(1990)』より。昭和48年4月、厳美の家で、板間にある囲炉裏に人々が集まる様子。

火鉢

五徳に網を載せ、餅などを焼く。火鉢には灰を使用するため、油が垂れる魚や肉などは焼かない。調理以外の時は、五徳に鉄瓶を載せ、常にお湯を沸かしていた。

 

調理

七輪

珪藻土でできた円筒形の持ち運び可能な簡易コンロ。火鉢と違い、炭や木を直接燃焼できる(灰不要)ため、油が垂れる魚や肉も調理可能。珪藻土と炭火の相乗効果で美味しく焼き上がる。 ■メモ■

屋外で使用することが多い

練炭コンロ

大正時代以降、木炭の代用品として推奨された練炭を燃料とするコンロ。通気窓の開閉により、燃焼時間や火加減が調整できるため、時間がかかる調理などでの使用も多い。

■メモ■

昭和30年頃~練炭を販売する店舗が増加


 

その他

焼きこて・火のし・炭アイロン

炭火の熱を利用する道具たち。焼きこては炭火の中に先端を入れて温め、火のしと炭アイロンは火の着いた炭を入れて使用する。焼きこては、水をかけて温度の調節をする(濡らした布をあて布にしたりもする)。縫い代の折り目等に使用したらしい。  

■メモ■

炭アイロンは高級品。一般家庭では焼きこてを使用

かつて使用していた焼きこて(室根)
▲かつて使用していた焼きこて(室根)
炭アイロン(一関市民俗資料館)
▲炭アイロン(一関市民俗資料館)

戦時中に木炭を焚いて活躍したバス
▲写真記録集 一関の年輪Ⅱ 20世紀の一関(2000)』より 戦時中に木炭を焚いて活躍したバス

 

 

木炭自動車

戦時中、石油不足により木炭や薪等を代替燃料とした車両。馬力も出ない上、整備不良も多かったとか。当地域でも走っていた。

■メモ■

1930年代末期から1940年代後期のわずかな期間のみ

 

 

養蚕部屋に備え付けられていたという 石を切り出しただけのような火鉢(油島)

 

 

◀養蚕部屋に備え付けられていたという

 石を切り出しただけのような火鉢(油島)

※養蚕部屋は温度調整が重要で、石油ストーブ等が普及するまでは、火鉢等で温度調整をしていた。

 

<参考文献・論文(Webサイト)> ※順不同

著/柳田国男(1944) 『火の昔』

一関市史編纂委員会(1977) 『一関市史 第3巻 各説2』

一関の年輪刊行委員会(1990) 『写真記録集 一関の年輪 20世紀の一関』

一関の年輪刊行委員会(2000) 『写真記録集 一関の年輪Ⅱ 20世紀の一関』

編/日本森林を育てる薪炭利用キャンペーン実行委員会(2007) 『火のある暮らしのはじめ方』

著/宮本常一/編/田村善次郎(2007) 『日本人の住まい』

著/須藤功/発/社団法人農山村漁村文化協議会(2004) 『昭和の暮らし1農村』

著/稲村半四郎(1978) 『むらに生きる 先人の知恵』

 

【調査協力者】

一関市大東町 渋民資料館

一関市大東町 摺沢寿会

一関市花泉町 日形市民センター

一関市室根町 ごっつぉ屋

その他、調査にご協力いただいたみなさま、ありがとうございました! 

↓実際の誌面ではこのように掲載されております。

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