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(idea2023年月8月号掲載)※掲載当時と現在では情報が変わっている可能性があります。

地名の謎ファイル№8 「興田と沖田」

 大東町の「おきた」という地名を聞くと「興田」という漢字を思い浮かべる人が多いのではないでしょうか。しかし、実は「興田」という地名は現在は存在せず、地名として存在するのは「沖田」です。当地域における「大字」の多くは昭和の大合併直前に存在した村名であり、大東町の誕生前の村名は「興田村」だったので、大字名として「興田」が残っていると思われがちです。なぜ「興田」が地名として残らなかったのか、その経緯を調査しました。 

(記載内容はあくまでもセンター独自調査の結果)

 

■昭和30年に消えた「興田」

 「おきた」という地名で「興田」という字を思い浮かべる背景には「興田小学校」「興田中学校(令和5年3月で閉校)」など、公共機関に「興田」という字が使われていることがあるのではないでしょうか。

 

 この時の「興田」は明治22年~昭和30年3月まで存在した「興田村」の名残であり、「大東町」に合併する直前の旧村エリアを指します。

 

 大東町は興田村の他に、大原町、渋民村、猿沢村、摺沢町の2町3村の合併で昭和30年に誕生しましたが、この時に大原町・猿沢村・摺沢町は、各町村名が大字となりました。ところが渋民村と興田村に関しては渋民村が渋民・曽慶の2大字に、興田村は中川・鳥海・沖田の3大字になったのです。ここで「興田」という地名は消滅します……。

 

 そもそも「興田村」は「中川村」「鳥海村」「沖田村」が合併してできた村ですが、「沖田村」は明治8年に「築館村」と「天狗田村」の合併によってできた、わずか14年間だけ存在した村です。

 

 たった14年間しか存在しなかった「沖田村」の「沖田」が残り、「興田」が消えたことへの単純な疑問が、今回の調査に至る経緯です。

 

帰属意識」は「興田」

 

 歴史を辿ると、葛西氏の時代に「興田保」というものが存在し、中川・鳥海・築館・天狗田の4か村が当該エリアに当たります。ここで言う「保」は、「荘」や「郷」と並ぶ所領単位で、平泉藤原氏によって開拓されたのだとか。文治5年(1182)には「奥州5郡2保」として葛西三郎清重に与えられます。

 

 つまり「興田」という地名は、12世紀には存在し、興田庄(保)築館村」のように、各村に冠して使われていたようなのです。起源こそ分からないものの、当該地域において「興田」は古くから馴染みのある地名と言えます。

 

 ではなぜ、歴史ある「興田」が地名(住所)として残らなかったのか?調査を進めると、明治に入り様々な法整備の中で、地方自治のために致し方なく合併が繰り返された経過があり、過去の合併歴が影響したのではないかと思われる展開に(もっと深い背景があると思っていましたが……)。

 

 地名表記上は「興田」を失くさざるを得なかったものの(その詳細は左頁)、「興田村」や「興田保」時代に培った基盤が多々あることから、現在も「興田」は、旧4か村の総称として用いられ続けています。

~明治8年 旧大東町エリア

~明治22年

~昭和30年

現在の大字


 

興田」と「沖田」の

 

 関係性を深掘りしてみた

 

 「興田」「沖田」それぞれの歴史を辿っていくと、「沖田」に該当する「築館村」「天狗田村」に関しては、明治~現在までに4回もの合併が行われています。それらを踏まえると「興田」を地名から失くせざるを得なかった背景が見えてきました。

※あくまでも憶測。関係機関にもヒアリングしましたが、正式な記録などはなく、正解は不明です。

 

【使い分けの基本(例外あり)

沖田=53の小字を束ねた大字名(具体的かつ現存する地名・住所)

興田=旧興田村(沖田含む)村域であり、共助(地域コミュニティ)母体

 現在、地名として存在するのは「沖田」で、ゼンリン地図を見ると大字沖田には53の小字が存在。この53小字の地名や、大字沖田をピンポイントで指す標識や構造物(橋など)には「沖田」の字が使われます。

 

 また、旧興田村域には、現在21行政区・18自治会が存在しますが、これらの帰属先は「興田」というコミュニティであり、「興田地区振興会」のように、旧興田村エリアを包括する組織名には「興田」が使われます。

 

 「興田神社」「興田川」のように、「興田保」時代に通じるような歴史あるものにも「興田」が使用されています。※興田神社は鳥海村エリア。

 

 大東地域の各市民センターに使い分けについてヒアリングしたところ、やはり上記のような使い分けをしているようです(むしろ興田市民センター以外は「沖田」を使うことはほぼないので、使い分けを意識することもあまりない)。ちなみに、明治34年に八日町(沖田地内)に開局した「沖田郵便局」が大正4年に「興田郵便局」に改称されるなど、沖田/興田を巡る物語は、各方面にありそうです(笑)


〖スタッフの独り言〗 

写真左下標識の「興田」が指すのは、旧興田村エリア全般であり、右下の標識に書かれた「沖田」は、大字沖田への道という意味だね。 

 

 

 

約80年間で4回の合併!その流れと背景

 

 

約80年間で4回の合併!

その流れと背景

備考1

 

中川村 鳥海村 築館村 天狗田村 備考2

 

旧興田村に

関する歴史

風土記等記載の家数

(水呑百姓含め)

▼関連法など

248戸

(安永風土記)

173戸

(封内風土記)

154戸

(安永風土記)

64戸

(安永風土記)

4 廃藩置県 11月に「一関県」誕生、直後(12月)に「水沢県」へ(同8年11月には「磐井県」に)。         明治初頭はまだ自然発生的町村であり、県域はおろか、村域も明確ではなかった                     
「戸籍法」制定 自然発生的町村の区域とは別に、戸籍事務の便宜に従った行政区画が定められる。          
6 「地租改正法」交付

土地の所有権を公認し、課税するもの。明治8年~14年頃まで本格的に進められる。

水沢県では村ごとに小地名を整理し「字地」を決めた。

         明治初頭はまだ自然発生的町村であり、県域はおろか、村域も明確ではなかった   
8 水沢県による村落統合    

合併

「沖田村」誕生

地租改正の際、境界が不分明(入会地など)で、田畑・山林が入り混じっている村は合併しても良いと指示が出た府県もあったらしく、水沢県でも同様だったのではないかと推測。
22 「市政・町政」施行  

合併「興田村」誕生

中川、鳥海、沖田は「大字」

(1500~1600人規模の村が4800人弱の村へ)    

1町村300~500戸が基準とされ、単村では達しなかったため、合併したものと推測      

※この時、曽慶村と渋民村も合併し「渋民村」が誕生。曽慶、渋民は「大字」へ。

27 「地方自治法」改正 地方公共団体(市町村)の規模の適正化に関する規定が設けられる。                              
28

「町村合併促進」施行

※3年間の限時法

 
 戦後の地方自治の強化が目的。          
30  

大原町、渋民村、猿沢村、摺沢町と合併し「大東町」の誕生。

(中川、鳥海、沖田の3大字は同町の大字に継承)

この時、旧村名が大字(大東町○○)になったのは大原、摺沢、猿沢。渋民村と興田村は、の大字(渋民村=渋民・曽慶、興田村=沖田・中川・鳥海)を継承したため、「興田」が大字名として地名に残らなかった

36  大東町で「行政区設置条例」議決   大原6→20、摺沢5→20(現在は21)、興田7→18(現在は21)、猿沢4→13、渋民4→13へ  行政区名にも「沖田」「下沖田」、「鳥海」「中川(上・下)」のほか、「天狗田(下)」が存在。
平成   16  いわゆる合併三法成立            
17     一関市合併  

〖スタッフの独り言〗 

すでに合併を経験し、大字を持っている興田村と渋民村の場合、大原などと揃えようとすると「大東町興田字沖田八日町」や「大東町渋民字渋民伊勢堂」のように、かなり‘くどい’住所になってしまうものね。 

 

 

「興田村」は当初「海川田村」という村名になる予定だったけど(1日だけなったという説も)、結果的に「興田保」に由来する「興田村」にしたんだって! 

 

<参考文献・論文(Webサイト)> ※順不同

 

 

その他、調査にご協力いただいたみなさま、ありがとうございました! 

↓実際の誌面ではこのように掲載されております。

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