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(idea2021年月12号掲載)※掲載当時と現在では情報が変わっている可能性があります。

くらし調査 ファイル№15 「孫抱き」

 初孫が生まれた時などに、親戚や近隣住民を呼んでそのご披露をする「孫抱き」。当市域の風習の1つと言え、ごく当たり前のこととして行われていた時代もあったようですが、最近では「孫抱き」という言葉自体を知らない人・世代も増えてきています。また、その内容も時代とともに変化し続けています。そこで、市内各地で「孫抱き」に関するヒアリングを行い、その「スタンダード」を整理してみました!

 

                    ※記載内容はあくまでもセンター独自調査の結果です。

 

■「孫抱き」とは?

 

  東北地方、特に岩手県南で盛んに行われている(諸説あり)という「孫抱き」「孫ぶるまい」「孫抱きぶるまい」と呼ぶ地域もあります。「孫」という位置づけの通り、主催はその家の祖父(祖父母)で、自分たちの孫を親類、近隣のみなさんにご披露し、お祝いしていただくという風習です。  

 この「孫」は、いわゆる「内孫」であり、「外孫」の際には行いません。また、内孫であっても、「初孫」の際に行う場合と、「家督(=長男)」の誕生の際に行う場合とがあり、当市域の中でも分かれました。中には内孫全員を孫抱きしたというお宅も!

 

 開催のタイミングは様々で、市内各地の孫抱き経験者にヒアリングを行ったところ、出産で里帰りをしていたお嫁さんが赤ちゃんと共に戻ってきた時(生後約1か月~3か月頃)に行われたという話や、首の座った頃(生後3か月頃)に行われたという話がある一方、文献には出産7日目に行っていたという記録が。近年では、1歳を過ぎた頃に「一生餅(一升餅)祝い」と合わせて行うパターンもあるようです。

 

 

150年以上まえから

 

 いつ頃から行われていた風習なのかを知るべく、各種文献を確認したところ、最も古い記述が大正5年発行の『真瀧村史』。そこには「初孫の生れたる時、その一週間目に両家の近親者を呼びて祝う。この風、維新前迄は必ず行われたる模様なりしが、今日は稍々に廃して中流の者にても行う者少なきに至れり」という記載が。

 

 つまり、旧真滝村(現在の一関市真柴・滝沢・狐禅寺・三関エリア)では今から150年以上前には行われていた風習であることは確認できましたが、いつ頃から行われるようになった風習なのかは確認することができず……。むしろ、大正5年頃には中流階級の家であっても行われなくなっていた、という意外な事実が。

 

 とは言え、当センターが行ったヒアリングでは、最も直近に孫抱きを経験した人が3年前(弥栄地域)。少なくなったとは言え、現在も行われているのです。市内の冠婚葬祭を執り行う会館等でも「孫抱きプラン」などが用意されているなど、カタチを変えながらも、現代に続く風習なのです。

 

 

 女性がゲストになれる

 数少ない機会

 「孫抱き」同様、当地域で盛んに行われていた「嫁取り」では、祝言の場に列席するのは男性が多い(2020年idea7月号参照)のに対し、「孫抱き」では女性が参加するのが一般的なのだとか!ヒアリングによると、昭和中期頃までは、ご案内そのものは家長宛に届くものの、実際に参加するのは女性(しかも年配の)だったようです。

 

 背景としては、「列席者が赤ちゃんを順番に抱いていく」という流れがあったことから、生後間もない赤ちゃんを抱くことに慣れている年配の女性が好まれたのではないかと推測。そのため、「嫁取り」のようにかしこまった式次第ではなく、和やかな会だったという話も。

 ちなみに、男性参加者が『孫振る舞い』という謡曲を披露することもあったとか!

※歌詞【此の家お孫の 御名は何と 倉が九つ 倉の助 此の家お孫の お着物見れば 黄金じらしに 銭の紋】 

 これらをふまえ、「嫁取り」は‘男のお振舞い’、「孫抱き」は‘女のお振舞い’という表現をされる方もいました。

 

▲平成14年に当市域内で行われた  「孫抱き」の様子

▲平成14年に当市域内で行われた  「孫抱き」の様子

 


        

             

 当市における 当センター的勝手に

 

      「孫抱き」のスタンダード

 

 「孫抱き」を経験した人が少なくなり、「孫抱き」という言葉を知らない人が増えているいま、当市における「孫抱き」がいったいどのような風習だったのか、ヒアリングや文献調査をもとに整理してみました!

※ちなみに当市出身の当センタースタッフ6人(20代~40代)のうち、「孫抱き」という言葉を知っていたのが5人、自分の誕生時に孫抱きをされていたのは3人、子どもがいる5人のうち、自分の子どもが誕生した時に祖父母に孫抱きをしてもらったのは1人だけでした。

 

時代別スタンダード ~昭和初期 戦後~昭和中期 昭和後期~現代
対象となる「孫」 初孫 ②家督 家督 ②初孫  初孫 ②家督 ③内孫全員
場所 自宅 自宅 会館 ②自宅
開催時期 産後一週間目(出産7日目)

里帰りから戻った頃の農閑期

(首が座った後)

首が座って~一歳頃 

(お食い初め、一生餅と合わせて)

主催者(孫から見て) 祖父(祖父母) 祖父(祖父母) ①祖父母 ②両親
参加者 仲人(晩酌人)②両家の親族 ③本家筋の女性 ④親類女性 ①親類女性 ②招待した人
孫の衣装 着物(あわせ、綿入れ、つんぬぎ

ベビードレス 

②お宮参りに行くときの着物

 

  市内各地でヒアリングした結果、見えてきたのが上記表のような内容です。80歳台以上の方にも数人ヒアリングを行うことができたものの、「よく覚えていない」という回答が多かったのも印象的。というのも、赤ちゃんの両親の席はなく、裏方(料理の用意や接待、片付け等)を担当するため、里帰りから戻って早々のお嫁さんに至っては「言われるがまま……」という状態だったというお話も。以下、詳しく見ていきます!

 

 

 

仲人(媒酌人)さんに感謝を示す機会(だった)

 

▲昭和63年に当市域内で行われた  「孫抱き」の様子。抱いているのは仲人さん。

▲昭和63年に当市域内で行われた 「孫抱き」の様子。抱いているのは仲人さん

 「嫁取り」で重要な役目を担う「仲人(媒酌人)」さん。「孫抱き」においては最上位の来賓であったようです。仲人さんが上座に座り、お酒を酌み交わした後、祖母に抱かれてやってきた孫は、まずは仲人さんに抱いてもらいます。

 

 この時、祖母(姑)は仲人さんに対し「おかげさまで良い家督孫を授かりました」というような挨拶を行います。つまり「孫抱き」は、結婚の際にお世話になった仲人さんに改めて感謝をする場だったのです。

 

 しかし、時代と共に仲人を立てずに結婚する人も増え(立てても形だけ)、昭和後期には「孫抱きの主賓=仲人」という感覚は薄れていったことが調査結果から見えてきます。

 


 

 

  家の座敷 → 会館 → 孫抱きプラン

 

 かつては多くの家に「座敷」があり、嫁取りの儀式や祝言も座敷で行われていました。孫抱きも家の座敷で行われていましたが、いわゆる「会館」が普及すると、会館で行う家も増え、現在は市内の結婚式場等でも「孫抱きプラン」として、孫抱きを行う際の利用を歓迎しています。昭和20年代からそうしたプランを行っている会館もあり、昭和中期から昭和後期にかけて、自宅<会館利用に切り替わっていったのではないかと推測されます。

 

 ちなみに、家の座敷で行われていた頃には、お嫁さん方の祖父母からの御祝い品として嫁入り道具とは別に「箪笥」が贈られる(里帰りから戻るときに持たされた)ことも多かったそうで、その箪笥と、中に入れてきた赤ちゃん用の衣服が披露されたのだとか……!

 

昭和50年代に当市域内で行われた家の座敷を使っての「孫抱き」。御膳も並ぶ。

▲昭和50年代に当市域内で行われた家の座敷を使っての「孫抱き」。御膳も並ぶ。


 

 

家督 → 初孫 → 家督 → 初孫

▲「孫抱き」で着せる衣装。かつては嫁の実家で手縫いした。現代はドレスの着用も多い

▲「孫抱き」で着せる衣装。

 かつては嫁の実家で手縫いした。 

現代はドレスの着用も多い。

▲「孫抱き」で着せる衣装。かつては嫁の実家で手縫いした。現代はドレスの着用も多い
▲「孫抱き」で着せる衣装。かつては嫁の実家で手縫いした。現代はドレスの着用も多い

 

 

 

 

 

 

 「孫抱き」は内孫全員に対して行うものではなく、かつては「家督孫=長男」が産まれた時に行われたものであったようです。しかし、大正期の文献には「初孫」と記載されており、昭和初期には初孫が主流になっていたようにも見受けられます。ところが、当センターのヒアリング結果では昭和中後期で「家督」という回答が逆転。勝手な推測ですが、この頃は生活改善運動が進み、結婚式も簡素化されており、もしかすると「家督」を言い訳に、「孫抱き」を行わない家が増えた……のかもしれません。

 

 そして最近では、少子化もあってか、「初孫」で行うだけでなく、内孫全員で行うなど、貴重な孫や子の誕生をお祝いしようという機運が高まってきているのかもしれません。

 


 <参考文献> ※順不同

大原町役場(1931)『大原町誌』

齋藤初美(発行年不明)『萩荘地区の葬儀・孫抱き手引き』

岩手県東磐井郡藤沢町(1981)『藤沢町史 本編下』

社団法人奥玉愛林公益会・奥玉老人クラブ連合会(1988)『奥玉村誌』

一関市(1977)『一関市史第三巻各説明Ⅱ』

真瀧村誌復刻刊行委員会 蜂谷艸平(2003)『復刻 真瀧村誌』

↓実際の誌面ではこのように掲載されております

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