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(idea2022年月12月号掲載)※掲載当時と現在では情報が変わっている可能性があります。

くらし調査 ファイル№20「講」「頼母子(たのもし)」

 地域で話を聞いていると「昔は『〇〇講』の集まりがあったんだけど……」などという話題が出ることが。宗教的な意味合いに聞こえることもあれば、交流機会のような意味合いの時も。そこで市内各地でヒアリングを行ってみると、それらは大きく「講(講中)」と「頼母子(≒無尽)」に分けられることが判明。しかも「頼母子」や「無尽」になると、金融的な位置づけにも広がるのです……!庶民の暮らしとの関係性を整理しました。                               

                   ※記載内容はあくまでも当センター独自調査の結果です。

 

 

■信仰➡相互扶助➡営利➡交流

 

 「講(講中)」「頼母子」「無尽」いずれも当地域独特のものではなく、名称は多少違えど、全国的に行われていたものです。『日本史広辞典』にはそれぞれの性格が次のように記されています。

 

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【講】本来は経典を講説する僧衆の集会のこと。(中略)九世紀に入ると法華経の読誦が流行して法華八講が広まり、一般に法会に講の名称をつけるようになった。やがて(中略)さまざまな信仰集団にも用いられた

 

【頼母子】 頼子・憑子・憑支とも。中世に始まる金融方式。参加者は一つの講を結成し、毎回の会合で懸銭を出しあって、抽選または入札で参加者の一人に配当する。(中略)本来は村落などの相互扶助の目的で発したもので、寺社の修繕費用の調達にも利用されたが、やがて営利事業として行う事例が増加する。(中略)近代以降は、無尽の呼称が支配的になる。

 

【無尽】 中世~近代を通じて発達した講組織による相互金融。(中略)中世後半に入って頼母子と混用されるようになり、講の会合の際の共同飲食がうむ仲間意識に支えられた、相互扶助的な庶民金融として普及する。その一方で営利的な無尽も発達し、近世には射倖性(≒ギャンブル性)を高めたものも現れて、一部の藩では無尽を禁止した。近代には会社組織の営業無尽が盛んに行われ、大正初期の段階で数百の無尽会社が確認される。

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 寺院等に集まって宗教教育(講義)を行っていた「講」が、時代とともに宗教色が薄れ、地縁的な集まり全般を指すようになっていき、その「講」の中から、相互扶助の性質を持つ「頼母子」や、金融手段としての「無尽」が発達していったようです。

 

 当地域においては、「〇〇講中」という組織名で、遠方の神社等への代参(遠方の名山霊場に代表者を派遣する参詣方法)」を行なったり、山の神等の祭事にあわせた御精進(≒直会)」が行われることが多く、そのために講中メンバーから会費などを徴収するケースが数多く見受けられました(ヒアリング及び町史等より)。

 

 そのような仕組みの派生で、頼母子や無尽が運営されるようになったという流れのようですが、町史等の文献によると、「頼母子」は藩政時代から行われ、明治時代にも盛んに結成されていたとか。「昭和6年頃の財界不況」により、一時下火になったようですが、終戦後は物資の欠乏から、再び結成し、物資の購入等に役立てたようです。

 

 「講中」に関しては、藩政時代以前から行われていたはずですが、「代参講中」の石碑建立は明治期以降が多く、当地域住民がいつ頃から講中を行っていたのかという答えには辿り着けませんでした。

 

~集落における例~

 

 

(講中)」「頼母子(≒無尽)を整理してみた

 

 市内の中高年層に、「講」や「頼母子」に関する地域の情報をお伺いしたところ、そうした組織に何かしらの接点がある・あったという人を約30人見つけることに成功!各種組織の概要を教えていただき、文献調査の内容とあわせて整理してみました。なお、講中・無尽ともに、高齢化とコロナ禍で解散を選択する組織も増えていることがわかりました。

 

当地域で行われている主要な講中

古峯山講中

栃木県鹿沼市草久古峯ヶ原

「古峯神社(ふるみねじんじゃ)」

火防の神(日本武尊)をお祀りしているため大火のあった地域で講中を組織するケースが多い。代参講中組織は全国に約2万あるとも。

三峯山(神社)

講中

埼玉県秩父市三峰「三峯神社」

御眷属がオオカミ(オイヌサマ)であり、山里では猪鹿よけ、町や村では火防・盗賊よけとして信じられてる。

小牛田山講中

(≒山の神講)

宮城県遠田郡美里町

「山の神神社(やまのかみしゃ)」

山中安全を願う山林業・鉱山など男性を主とした講(農民にとっては田の神)と安産・子授け・子育てを願う「婦人講」の二種類に分けられる。

伊勢講中

(天照大神)

三重県伊勢市「神宮(伊勢神宮)」 皇祖神であり、日本総氏神である天照大御神が祀られ、江戸時代には庶民の間で「お伊勢参り」が大ブームに。❛一生に一度は伊勢へ❜という憧れから、代参講中を組織して参拝に行く地域が多い。

出羽三山講中

(月山、羽黒山、湯殿山)

山形県鶴岡市羽黒町

「出羽三山神社」

※羽黒山山頂に三山神々を合祭

「出羽三山」は月山、羽黒山、湯殿山の三つの山の総称で、日本古来の自然崇拝の山岳信仰に、仏教・道教・儒教などが習合した「修験道」の山。

その他 雷神、秋葉山講中、馬頭観音講中、志和稲荷講、恵比寿講、金華山講、鹿島講中、等

 当地域においては、ヒアリング・文献調査あわせて少なくとも50種類以上の講中があり、うち上記にあげたような講中は小字レベルから各地で複数存在するため、組織数は優に100を超えると推測。代参目的の講中も多いですが、年2回程度の祭事と「御精進(≒直会)」を行うための講中も多く存在していました。近年の代参講中は、旅行会社からツアー商品がご案内されることも多かったようですが、会員の高齢化にコロナ禍が相まって、「郵送祈祷」への切り替えが進んでいました。 

1)2)厳美地区の某講中組織の「古峯神社講中代参簿」。大正12年分から綴られている。

 

3) 厳美3区住民で組織する「古峯山滝ノ上講中」で古峯神社に参拝旅行に行った際の集合写真。昭和26年に結成し、当初は代表5人が代参していたが、近年は会員全員に参加を募るように。毎年2月の農閑期に、古峯神社の大祭に合わせて行く。コロナ禍に入ってからは郵送祈祷に切り替えているが、講中組織は存続している。



4) 室根13区自治会内の第6部落住民で組織する「萩倉馬場講中」。コロナ禍前は代参と御精進を行っていたが、現在は郵送。代表者が会館で「古峯神社」の掛け軸に手を合わせる。

 

5) 講中組織を結成した際には、組織の永続や参拝を記念して石碑を建立することが多く、表面には当該講中が信仰する神社等の名称と建立年を、裏面には講中組織メンバーの氏名等が彫られている(写真は厳美地区)。

~ 本誌こぼれ話 ~

一関市滝沢の9・10区住民で組織する「三峯神社講中」。毎年11月上旬に同地域内の三峯神社で「三峯神社講中精進祭典」を行っています。この日は、三峯神社の環境整備→参拝→公民館(≒自治会館)で「三峰神社」の掛け軸に参拝→精進料理を講中組織メンバーで囲みます(コロナ禍になってからは仕出し弁当の持ち帰り)。

 

1)三峯神社で参拝してる様子

2)「三峰神社」掛け軸に参拝する様子

3)現在の講中組織メンバーや祭典の進め方等が書かれている「三峯神社精進祭典講中書」

一関市滝沢 公民館で「三峰神社」掛け軸に参拝する様子

一関市滝沢 三峯神社で参拝する様子
三峯神社精進祭典講中書

 

当地域で行われていた主要な頼母子(≒無尽)

 

 講中と異なり、「やっていたがやめた」という声が多数。やっていても、近年は相互扶助の意味合いよりも、親睦や交流のためのものしか存在しないようです。また、町史等の文献を見ると、そもそもは「たのまれ無尽」として、負債整理や火災水害借財等の更生資金を調達すべく、親類縁者や隣近所の人々に依頼して結成することも多かったようです。

※「頼母子」は目的があって結成するので一巡したら目的達成で解散することも多い

萱(茅)・屋根無尽

各地で萱を集めるのは大変である事から、メンバーで萱や縄を持ち寄り、春季一回(春秋のことも)

古い屋根の家から順次萱替えしていった。

畳無尽 

畳の表替えを行うには一度にまとまった金額が必要になることから、一定金額ずつ拠出し合い、

順番に表替えを行った。(~昭和40年代まで?)

米無尽

もち米頼母子

米を一定の量ずつ出し合い、当たりの人がもらうパターン(もらったお米は現金化することも)と、

お祝い事のためにもち米を貯めておき、あたりの人が使えるようにするというパターンも(祝い事のある人を優先)

調度無尽 お膳、畳、ミシン等の調度品を購入するためのもので、当たりの人はまとまった現金を入手でる。水害等からの復旧にも使用したとか。
その他

酒のみ無尽、車検無尽、同級会無尽、旅行無尽 等

「たのまれ無尽」の場合、1座目は頼んだ側(=金品に困っている人)に当たりがいき、2座目以降はクジ引きや入札で当たりを決めたのだとか(一度当たった人は対象外で、返済のみ)。

 現金等が必要な人にとっては手軽な金品調達方法であり、余裕金所持者にとっては有利な貯蓄方法(利息つきの仕組みもある)だったようです。

<参考> ※順不同

東山町史編纂委員会(1982)『東山町史資料編』/大東町(1982)『大東町史 上下巻』

大東町(1970)『大東町史料 第一集』/大東町(1972)『大東町史料 第三集』

藤沢町編纂委員会(1979)『藤沢町史 本編上』/藤沢町編纂委員会(1984)『藤沢町史 本編上中』

岩手県千厩町磐清水公民館(1957)『磐清水村誌』/薄衣村史編纂委員会(1972)『薄衣村史』

編者/弥栄中学校 発行/松崎徳勝(1973)『郷土誌 弥栄の里』

編者/松本博明 発行/一関(2011)『一関厳美町文寺の民族』/門崎村(1956)『門崎村史』

黄海村史編纂委員会(1960)『黄海村史』/岩手県教育会東磐井郡部会(1975)『東磐井郡誌』

千厩町史編纂委員会(1993)『千厩町史 第3巻 近世2』

千厩町史編纂委員会(2000)『千厩町史 第4巻 近代編』

真滝村誌復刻委員会 蜂谷 艸平(2003)『復刻 真滝村誌』

社団法人 奥玉愛林公益会 奥玉老人クラブ連合会(1988)『奥玉村誌』

室根村史編纂委員会(2004)『室根村史上巻』

仙台市史編さん委員会(2008)『仙台市史通史編6 近代1』

岩手県西磐井郡萩荘村役場(1955)『萩荘村史』/一関市史編纂委員会(1977)『一関市史第4巻』

大原役場(1931)『大原町誌 上下巻』

 

<取材協力>

室根13区自治会内の第6部落「萩倉馬場講中」

調査にご協力いただいたみなさま、ありがとうございました! 

↓実際の誌面ではこのように掲載されております

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