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(idea2022年月9号掲載)※掲載当時と現在では情報が変わっている可能性があります。

地名の謎 ファイル№6 「黄海(きのみ)」

 市内の「由来が気になる地名」について深堀りする「地名の謎ファイル」。第6弾は藤沢町の「黄海(きのみ)」。北は川崎町薄衣、西は北上川を挟んで花泉町日形、南は宮城県登米市と接し、北上川の支流「黄海川」の下流域に位置する農村地域です。江戸期~昭和30年までは「黄海村」でしたが、「きのみ」と読めない人も少なくはないこの地名。果たしてその由来とは何なのか、複数の説を整理し、当センターなりに検証してみました!                                

                   ※記載内容はあくまでも当センター独自調査の結果です。

 

 

■通説は「洪水の光景」?

 

 「黄海」という地名の由来は複数あり、村史等の文献でも紹介されています。口伝で残されてきた説も含めると、今回の調査では全部で7つの説が集まりました。

 

 それぞれの説の詳細は下段でご紹介しますが、気になるのは「実際のところ、地域住民にはどの説が浸透しているのか」。黄海含む藤沢町在住の人に「どの説を知っているか(複数回答可。26人にヒアリング)」アンケートをとってみたところ、最も多く知られていたのが「洪水時の光景」に由来するという説でした。次いで多かったのが「黄海の戦い」に由来する説

 

 特に洪水時の光景に由来する説については、小さな頃から大人に聞かされていたという黄海住民が多く、防災教育や水害史の伝承という観点でも語り継がれ、浸透している可能性があります。

 

 なお、坂上田村麻呂の発言に関する説も、洪水に関する内容ですが(下段参照)、認知度は高くないという結果でした。

 

「黄海(きのみ)」の由来  文献&口伝まとめ

 

昔は海・湖だった

 大昔、現在の黄海エリアは一面の湖もしくは海であり、底が深く、水の色が黄色だったとされる説。『黄海村史』には「蠣(牡蠣)の貝殻の化石が残っている岩がある」と記載されていたり、ヒアリングの際にも「現在の曲田にある山の中腹~山頂で貝の化石堀をした」という経験がある人も。

 

②③洪水&坂上田村麻呂の発言を機に

 大同年間、坂上田村麻呂が蝦夷を平定し、現在の宮城県東和町・鱒淵地区にある馬頭観音(田村麻呂が建立した「華足寺」のことと思われる)に御礼参りに行った。その帰り道に激しい雷雨にあい、北上川が洪水となっているのを、田村麻呂が高い丘の上から望見した。その時に田村麻呂が「黄金郷は黄海郷となった」と言ったことから、この地方を黄海郷と呼ぶようになったという説。※当時、当地域は産金地であり、黄金郷と呼ばれることがあったらしい。

 また、そうした洪水が頻繁に発生し、洪水時には黄色い海のように見えることからという説。

 

「黄海の戦い(合戦)」での出来事から

 東北地方の豪族である安倍氏が反乱を起こしたことで、陸奥国の国司が数千の兵を率いて攻めたことに始まる「前九年の役」。

 1057年、安倍頼時が戦死し、安倍貞任が後を継いだことを受け、同年11月、陸奥守・源頼義が多賀城の国府軍1,800人を率いて安倍氏の残党を討つべく出陣(黄海の戦い)。4,000騎(人)で迎えた安倍氏側は極寒と吹雪を味方につけ、国府軍は大敗。黄海川を挟んで対峙していたため、国府軍の数百人の死体から流れた血で黄海川が黄色く濁ったとされ、その光景から黄海と呼ばれるようになったという説。

 

アイヌ語の転訛

 『岩手の地名とアイヌ』によると、黄海はアイヌ語の「ケネ・オマ」の転訛で、「鱒の棲んでいる所」という意味であり、現在の黄海川から起こったものという説。

 

⑥⑦「鮭の遡上」&「秋の稲穂」の光景

 黄海川に鮭が遡上し、産卵のために鮭が固まると黄色く見えることから。また、田園地帯であり、秋の稲穂が広がる光景が黄色い海のように見えることから。

どの由来が事実に近いのか深堀りしてみた

 

 黄海に伝わる地名由来は複数あることがわかり、その中には歴史的なロマンを感じさせる説も。果たしてどの説が由来としては有力なのか、史実を整理しながら、少しだけ(歴史ロマンを否定しない程度に)深掘りしてみました。

 

「黄海」という地名の歴史年表

 

「黄海」という地名が文字として記録されている書物や、伝説的な話を年表に落とし込むと、以下のように整理されます。

平安 802年以降 磐井郡が置かれ、現在の黄海は「磐井郡沙沢(ますざわ)郷」に含まれる。

 806~

810年頃

 坂上田村麻呂が「鱒淵の馬頭観音」へ御礼参りの帰りに北上川の洪水に遭遇し、「黄金郷は黄海郷になった」と発言した。
1057 前九年の役」における「黄海の戦い」が起きる。
1068~1185 『陸奥話記』にて「黄海」の文字が確認できる。
12世紀頃 「黄海保」の成立(奥州藤原氏の時代と推測される)。
1189 奥州合戦ののち葛西清重が賜った「五郡二保」に「黄海保」が入っている。
室町   葛西氏の統治下で「黄海保」が存続。
戦国 1500年頃

「黄海氏」を名乗る地頭あり(「黄海高行」から5代ほど続くも大崎葛西旧臣の一揆にて滅ぶ)。

※南北朝の末頃にも「黄海備前守信賢」なる者が存在していた?

1590

奥州仕置で葛西氏の統治が終わる。

→その後「黄海保」は実態を失い、その中心地は「黄海」「黄海郷」「黄海村」などと呼ばれるようになる。

 
江戸   仙台藩領 磐井郡「黄海村」
安永(1772~1781) 安永風土記』の中で、「黄海」の由来を「前九年の役によって敵の死体から流れ出た血が沼に入り、水面が黄色になった事による」と伝える。
明治 1869 版籍奉還により、黄海村は胆沢県に編入される。
1889 町村制の施行により「黄海村」が発足。黄海村98番地に役場が置かれる。
昭和 1955

藤沢町、黄海村、八沢村、大津保村の4ケ町村が合併し、「藤沢町」が誕生。

「黄海」は藤沢町の大字名に。

 

気になるポイント

 文字として確認できる「黄海」で最も古い記録(書物)は、平安後期に書かれた『陸奥話記(前九年の役の顛末を記した書)』で、「貞任等率精兵四千余人、以金為行之河崎柵為営、拒戦黄海。(=貞任らは精鋭の兵士4000余人を率いて、金為行の河崎の柵を陣営として黄海で防ぎ戦った)」という一文があります。「黄海の戦い」の際にすでに「黄海」と呼ばれていたのか、この本が書かれた際に「黄海」と名付けられたのかは読み取れません。なお、「黄海の戦い」が「黄海」の由来だという説は、『安永風土記』に明記されていますが、上述の通り、定かではありません……。

 

地理・地質的要因に見る「黄海」

 

 「昔は海(湖)だった」ことに地名が由来するという説や、それに伴う伝説(「湖水の伝説」)も存在する黄海。『カシミール3D(DAN杉本氏作成/スマートフォン版は『スーパー地形』)』というアプリで地質を見てみると、黄海のほぼ全域が海成層の堆積岩で形成されているという結果に!北上川を挟んで隣接する花泉町・日形地区は同じ堆積岩でも非海成層なので、黄海までが現在の宮城県気仙沼市方面から続く海だった可能性を素人ながらに妄想。ちなみに、黄海に伝わる伝説上では現在の雫石町付近まで続き、深さも数百丈という大きな湖があったとされています。

 

 また、水害時の光景に由来する説に関しては、河川整備が進んだ平成に入っても大きな水害に見舞われている地域であり、古くから水害が頻回に発生していました。ヒアリングでも「カスリン・アイオン台風の時はまさに海の入り江のような光景だった」という話があり、濁水が黄色い海のように広がった光景が目に浮かびます。

黄海の地質図
▲黄海の地質図
平成14年水害時の黄海地区
▲平成14年水害時の黄海地区

 写真上は平成14年水害時の黄海地区の浸水状況(岩手河川国土事務局提供)。寛政3年に発生した黄海川の氾濫「お菊の水」では、現在の黄海川が流れる場所にあった「二日町」が町ごと流され、そこから川の流れが変わったとか。

 写真右は黄海地区小日形集落の秋の風景。こうした黄色い海のように稲穂が広がる光景は、黄海地区の各所で見ることができます。

 

黄海地区小日形集落の秋の風景
▲黄海地区小日形集落の秋の風景

<参考文献> ※順不同

黄海村史編纂委員会(1960)『黄海村史』/黄海を語る会(2016)『黄海歴史ロマンマップ』

芳門申麓(1997)『岩手の地名百科 語源・方言・索引付き大辞典』/

「角川日本地名大辞典」編纂委員会 編(1985)『角川日本地名大辞典3 岩手県』

柳瀬喜代志・矢代和夫・松林靖明・信太 周・犬井善壽(2002)『新編日本古典文学全集41』

 

↓実際の誌面ではこのように掲載されております

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