誌面こぼれ話

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情報誌『idea』2024年2・3月号掲載「一関コミュニティFM株式会社 放送局長 塩竃一常さん」との対談において、誌面への掲載ができなかった「こぼれ話」を、ホームページ限定で公開します(^^)/

 

誌面の内容はコチラ

 

前編 (2024年2月号)

 

後編 (2024年3月号)


■塩竃さんとラジオ

~「ラジオ志望」の少年が「放送局」を立ち上げるまで~

・僕が子供の頃は周りでラジオ聞いてる人はそんなにいなくて。一関は、盛岡からの電波も弱く、仙 台からの電波も弱いので、同級生の間でもラジオを聞いているというのは珍しくて、お店の中でもラジオはあまり流れていなかったんですよね。

 

・子どものころ、東京の親戚の家に行くと、商店街のお店とかでずっとラジオが流れてるんですよね。八百屋さんやお肉屋さんの店先でラジオが賑やかに流れてる。それがいい雰囲気なんですよ。交通情報とか、「次は 11 時何分頃にお伝えします」っていうと、本当にその時間に流れてくるっていうのが、子供心にすごく楽しくって。

 

・高校の時は放送部に入り、NHKの放送コンクールで岩手県大会ギリギリ6位になって(6位まで全国にいけた)。その頃と、オールナイトニッポンに重い相談を送った時期(誌面参照)が重なってるんですけど。その頃から、将来はラジオ業界に入って、当時ラジオで自分の投稿を読んでくれた人の近くに早くいきたいって思ってて。じゃあ4年制大学行くよりは専門学校に行く方が早く現場に行けそうだな、と思って。専門学校に電話して「どこどこの放送局に行きたいんですけど、そういうバイトとかって紹介してもらえますか?」って素直に聞いたんです。

 

・僕は、TBSラジオとかが結構好きで、深夜の番組も好きなんだけど、日中の主婦向けの番組やドライバー向けの番組が好きなんです。朝や昼って、テンポ良くポンポンポンって番組が進んでいくので、心地よくて。そういうラジオ番組を作っていきたくて。いまはTBSラジオもだいぶ変わってしまいましたけど、かつての、永六輔さんとか大沢悠里さんとかラジオの重鎮が集まっていた時代のTBSラジオを目指していたんです。

 

・専門学校で受けたオーディションで、受かった番組のディレクターさんがそういう重鎮たちの番組を担当していたディレクターさんだったんです。ラジオについて知りたいことを隅々まで教えてもらった2年間でした。

 

・専門学校卒業前に大阪に旅行に行ったときに、たまたま見学で行ったコミュニティ放送局で、たまたま結婚退社のためにアナウンサーが抜けるから募集するってことを知って。そこが、阪神大震災を経験しているコミュニティFMだったということもあって、アナウンサーとして就職しました。

 

・そこでラジオ業界に関わるうちに、自分もふるさとにコミュニティFMが作れればって思い始めて。

 

・それ以前に、中学校くらいのときに、自分なりに「一関にラジオ局を作ったとしたら」って妄想していました。「この時間は文化放送のこの番組をネットして、ここからはニッポン放送の番組を入れて……」って。自分なりの番組表を考えるのが好きだったんです。この時間の番組は、ここの会社にスポンサーになってもらおうとか、スタジオは「ふくはら」の螺旋階段の下あたりだとカッコ良いなとか、学校帰りに寄ってみて妄想してるようなヤバいやつだったんです(笑)

 

・そのうちに、小さい地域でもできるコミュニティ放送の制度ができたので、一関にもできるんじゃないかと本格的に思い始めて。

 

・岩手に戻ったきっかけは、大阪の放送局で、当時、自分の番組内で一関の話題を紹介するコーナーをやってたんです。大阪なので岩手県のこともあまり知らないリスナーがほとんどだし、なおさら一関のことも知らないわけですが、岩手日日を郵便で購読して、一週間の岩手日日ニュースというのをやってたんです。だんごやもちの話題なども、僕が解説しながら。枚方とか尼崎でこんなんやっててどうなんねんって感じでしたが(笑)

 

・岩手日日の記事で、ある日、合併で「奥州市」ができて、当時の市長が、大きい広告の中に「将来の奥州市の計画」というのを載せてたんです。そのなかに「コミュニティFMの立ち上げ」があったんです。

 

・具体的なものは何も書かれていなかったんですけど、それを見て、パソコンを持ってなかった当時の僕は近所の漫画喫茶に行って、そこのパソコンで子供のころに作っていた番組表みたいな感覚で、奥州FMの番組表やスタッフの人数、CMの予算などなど、「こんだけの人数でこういう風にやれば回せる」っていうのを勝手に作って奥州市に送ったんです。そうしたら、「これから立ち上げていくんだけど一緒にやりますか」って連絡が来たっていう。

 

・実際、奥州FMは、それをほぼ踏襲した放送局になりました。放送局の立ち上げって、いろいろ考える人はいても、具体的に動く人は実際にはなかなかいないので。

 

・僕は子どもの頃からラジオに対してすごい憧れやリスペクトがあるので、自分自身がこうしたいとか、自分が輝きたいとかじゃなくて、「ラジオって面白いぞ」というのを、バランス良く、いろんなことをいれていくことで、聞くことが楽しみになっていくような、そんなラジオ局を作りたくて。今は、アナウンサーとしてしゃべったりするけど、できる限り次の子たちに渡していきたいんです。今のアナウンサーの中にも、子供のころからアスモを聞いていて、憧れてオーディション受けてきたっていう子もいて。

 

・大阪にいた時期は、いろいろな局をまわりました。放送を聞いているだけでは局内の仕組みまでは分からないので、フリーアナウンサーになっていろんな局を回ったんです。どこの局も、誰かをスターにしたいということではなく、地域の人たちに活用してもらうっていうところを模索してる局ばっかりなので、すごく今に活きています。

 

・一関コミュニティFMができるきっかけは、今の佐藤市長。岩手宮城内陸地震があった時、僕は奥州 FM にいたんですけど、その時は一関もカバーしようって、総務省の許可で電波をその時だけ大きくしてもらって、一関エリアでも聞けるようにしたんです。当時、部長クラスだった佐藤さんがそれを聞いていて、一関にも本格的に作ろうって、相談に来たんです。その時は 2013 年くらいの開局を目指してたんですが、311 があって、早めに作ろうっていうことで、2012 年に前倒して開局しました。奥州 FM にいながらこっち来て作るっていう予定だったんですが、最終的には退職してこっちに注力しました。

■「FMあすも」と「防災」 ~ニーズと実情~

・東日本大震災以降、震度1でも怖いと感じてしまう人も増えたので、震度1でも情報を放送するようにしました。誰かが起きていてくれると思うと安心してくれると思うので。

 

・深夜の地震速報は、自分がテレビで見て、メモをとって、スマホをつかってしゃべるっていうアナログなやり方。自分にとってはそれがやりがいだけど、他のスタッフにはやれとは言えないので、今後はAIなどを活用予定。

 

・「いざっていう時には、あすもがちゃんとやってくれる」って日頃から感じてもらいたいですし、あすも専用のラジオを市がわざわざ作って配ってくれたっていうところもあるので、そこの意味はしっかり考えて対応していかないとな、と。

 

・ラジオを配ったこと自体は市の施策なので、我々民間放送の会社としては、それとは関係なく普通に各自が家のラジオで聞いてくれれば良いのですが、市が市民のためにハード面を整えてくれたというところです。

 

・市が配布したラジオには、自動起動機能もあるけど、あんまり起動させると今度は聞かなくなっちゃう。市としては「防災無線の代わりに」という位置づけもあったけど(どこの町でも、自治体がハード面整備するにはそれが殺文句だったりする)、本来、放送の法律とか、そういう感じのところで言えば、自動起動はあんまりすべきじゃないし、普通に聞いてる人たちに、印象に残るように工夫して伝えていくっていうのが「放送」。防災無線のような「通信」の役割がありすぎると、情報伝達だけに集中し過ぎて、ラジオの良さ、ラジオらしさが失われてしまうことが心配。

 

・(電波が入りにくい地域も未だにあるが)FMあすもが免許を持っているのは、石蔵山送信所だけで、それ以外は市の持ち物。専用ラジオが全戸配布なので全戸で受信できるよう市で各地に中継局を立ててくれています。ラジオが受信できない場合は、市所有の中継局エリアの場合は市に伝えています。

 

・大阪のラジオ局にいたときは、毎日 13 時と 18 時に消防の人が交代で出てくれるコーナーがあったんです。消防車両の出動状況などを話したりするんですけど、最初の2~3分はパーソナリティーと昨日見たテレビの話とか、そういう話を、お名前出した状態でしてくれたんです。聞いている人は、そういう「私たちの町にいる普通の人」が、いざという時には助けに来てくれるっていうことを自然と理解してもらえる。行政の情報枠はそういうのが理想なんです。関西だとそういうのがやりやすかったですが、一関だとそういう地域性じゃないので難しいですが(笑)

■「コミュニティ放送」の「今」

~民間スポンサーとの winwin な関係性~

・僕が働いていた大阪・関西のコミュニティ放送局がどんどん閉局になっていくんです。閉局した放送局は、年収の 大部分は自治体からの拠出だったようで。大阪・関西のコミュニティ放送は、阪神淡路大震災の後に急遽、開局したところが多く、時がたって予算を削減する、そういった経緯があるんですね。

 

・バランスよく、様々な情報が「健康的に」放送の中で行きかうためには、自治体に頼るだけではなく、民間の人たちに支えてもらうっていうのが大事。一関の場合、市の提供は 15~20%。機械類とか場所は市に貸してもらってますが、スタッフの給料とかは民間CMの収入から出ています。

 

・FMあすもは、コミュニティ放送の中では民間スポンサーがしっかりついている方で、お天気とか交通情報とか、1か月で5~10 万くらいの枠をしっかり出してくれている。「店の新規開店の時にはあすもに」っていう依頼も。

 

・コマーシャルは、ずっと何年も続けてもらって、やっと、「この時間はどこの提供だな」って浸透していくものなので、できれば長く続けてもらって定着させたい。スポンサーにとってみれば、そこに出すステイタスじゃないですけど、「あすものCMを出す」っていうことで、企業イメージがあがってくると思ってもらえるのであれば嬉しいですよね。

■その他  ~この 10 年間の苦悩など~

・この10年間の放送内容は、本格的に市民活動をしている方からすると、聴いていて物足りないだろうなと思いながら番組を作っていました。本当は5~6年目から地域の取り組みを下支えする役割をやっていきたいと思ってたんですけど、本格的にそういうのがやれそうなスタッフ(パーソナリティ)が育っていなかったり、かと言って自分が動けるかっていうと、自分がある程度の時間をもっておかないと、けっきょく動けない。動けない間に勤務時間がどうって制度が変わったりして、じっくり取材してインタビューしたいって思っても、例えば夜の取材などは勤務時間の兼ね合いなどで許されなかったり…。

 

・いま、スタッフたちは十分に力をつけてくれました。ラジオがあまり聞かれていなかったこの地域に「ラジオのある暮らし」を定着させることができた10年。いよいよこれから、市民活動センターさんや、地域の方々の知恵や力をお借りしながら、「一関のラジオ」を磨いていきたいです。

 

・1階のサテライトスタジオも活用を期待されているんですが、4階とのつなぎが悪く、情報のやりとりが出来づらく、1年くらいは生放送でも使いましたが、今現在は週数本の収録場所としてしか活用できていません。次の機械の更新で、活用できるようになればな、と……。

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