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(idea2018年8月号掲載)※掲載当時と現在では情報が変わっている可能性があります。
以前、このコーナーで「大根の年越し」を調査したときに「大根といえば千厩に『大根神社』があるらしい」との情報をいただいていました。
一体どんな神社なのか、市内には他にもユニークな神社はないのか…。調査結果を今月号と来月号、2号連続でお伝えします!
※正式名称は「聖徳太子堂」千厩町清田地区
天明5年(1785年)頃、田村藩では、安永4年(1775年)からの連続水害や天明3年(1783年)の大凶作を受け、一関・花泉・千厩に農業の神様である作神様を勧請(神仏の来臨や神託を祈り願うこと)しました。
千厩の清田地区では元々あった聖徳太子堂に作神様が勧請され、祭日(10月14日)には、近郊の人々が大根を持って集まり、お神楽や出店で賑わったことから「大根神社(大根神様)」と呼ばれるようになったのではないかといわれています。
元は現在の石段(記事最初の写真)の下にご神木のかやの木と並んで建てられましたが、ご神木に雷が落ち、神社とご神体が燃えてしまったため、神社は現在の位置に移転されました。
昔は祭日には神社の石段が埋まるほどの大根が集まったともいわれています。
現在は旧金田村(現清田地区)の大肝煎の末裔である宍戸さんが周辺の手入れをして、近所の方が元朝参りなどに訪れるそうです。
<参考文献>・「花泉町史(通史)」 花泉町史刊行会
・「平成22年度 大人の調べ学習 気仙沼街道を行く
報告書 旧街道を歩くⅡ」 一関市博物館
<取材協力> 宍戸紘一さん・昌子さん